みすずかる 信濃の国の 政(まつりごと) 議員浅間(山)で 知事ゃ千曲(川)かや
北行(ほくぎょう)
會報ことぶき 月報(No.42) 2002年7月前期号 |
(佐藤壽三郎市議会議員活動報告) |
【コラム・千曲のかなた】 |
県議会が下した田中康夫長野県知事不信任可決に 異議あり。 |
県議会は、5日6月定例会最終日の本会議で、田中知事に対する不信任議決案を賛成44人、反対5人(欠席11人の賛成多数(出席議員の4分の3以上)で可決した。県政史上初めての事態に発展した。県営ダム中止を巡る知事と県議会の対立は、議会が『伝家の宝刀』を抜いて可決とした。既存型地域ボスの集合が県会議員であることからすれば、田中知事の思考や手法は認められない独善的なものであったのかもしれない。しかし、巨費を投じるダム建設は財政的にも国民(県民・市民)に負担を強いるものである。地球46億年の営みにおけるたったここ百年余りの構築物であるダムの功罪を、後世の子孫のためにも、国民レベルで十分に論議する必要がある。 セメントは、イギリスのレンガ職人により、1824年にレンガのつなぎとして発明されたものだが、宿命として、強度の劣化の問題がある。巨大なダムを支えるコンクリートも、歳月とともにもろくなる事実を忘れてはなるまい。「砂防ダムはいらない?」渓流保護ネットワーク代表の田口康夫氏は、「林野庁の治山施設被害原因調査報告書によると、1965年から4年間に全国で769基の砂防ダムが(林野行政では治山ダムと呼ぶが構造上は同じ)壊れている。古いダムほど被災しやすいという。コンクリートの寿命は70〜100年といわれ、その原因はコンクリート内部や外部からの潜在的化学反応や物理的外力であり、宿命的なものだと言われている。今後、日本の貯水ダムや砂防ダムはその寿命を迎えるが、大型のダムが壊れればそれだけで大災害につながってしまう。」とする。怖い話ではないか。1994年5月、アメリカの開墾局の総裁ダニエル・ピアードは「ダムの時代は終わった」と宣言し、既存のダムの撤去を推進。2000年5月までに469のダムが撤去されているという。 コンクリートが強度をなくしたとき、この巨魁なダムとダムの底に堆積する土砂(堆砂)を莫大な費用を投じてどのように排除するのかも考えなくてはなるまい。「ダムは二十世紀最大の産業廃棄物として、手の施しようがないまま放置されようとしている。」と指摘する人もいる。日本は神代の昔から明治中ごろまで、(日本にコンクリートの土木技術がもたらされるまで)、コンクリートダムは無かった。なるほど治山・治水は時代時代の為政者の重要な仕事であったことは今も昔も変わりはないが、我々の先祖は自然を畏れ敬い共存してきたのではないか。「技術で自然の全てを治められると考えるのは人間のおごりであり、対抗するのではなく、共生することで自然の恵みを受けていくことが大切。」と徳島県木頭村は訴えている。河川に堤防を築いたときから、川と人間との戦いが始まった。川底には大雨の度に堆砂するは道理であり、費用等の問題から堆砂を永年放置した結果が、天井川現象なのだ。 思うに、知事が言う「日本の背骨に位置し、数多の水源を擁する長野県」に於いてはダムの功罪をもう一度論議する必要があろう。今回の県議会の職権乱用茶番劇に、当須高地区選出の中島輝夫県議が裁決に加わらず退席された。県立須坂病院新築のこともあるが、力で押し切ろうとする理不尽な議会の横暴に嫌気がさし、県民益を論ずるに自民も民主も共産もないことを示した行動とすれば高く評価したい。ダムと総合体育館の共通点はどちらも「ハコもの」であり、「代替案で解決できないか?」である。メンツだけの押し切りは、詰るところ市民の支持を失う。 |