愛すべき郷土須坂を いま一度活気みなぎる町に しようではありませんか。
提  言

     1. ぬくもりのある福祉を実現します。   
     2. 活力みなぎる須坂の復活。
     3. こどもは須坂の宝。
     4. 市民が主役の市政。
     5. 民営化を促進し小さな市役所を構築します。

日報は 【コラム千曲のかなた】 に掲載されております



提  言

佐藤壽三郎の議員活動(2期)報告書 第12巻
          
 
 
 須坂市議会議員佐藤壽三郎です。

 日頃の温かな変わらないご支援ありがとうございます。この度新たに後援会にご入会頂きました皆さまにはこころから御礼を申し上げます。

 壽会佐藤壽三郎後援会を通じてご支持して下さる皆様に、今期の市議2期目である4年間の『私の提唱に基づく議員活動』の総括をご報告申し上げます。


       平成19年2月11日(2期任期満了日)

                  須坂市議会議員  佐 藤 壽 三 郎


第1章 私の2期目4年間の議員活動をご報告いたします


報告その1.「議会制民主主義を主軸とした市政運営を目指します」について


検証1.地方分権時代に対応した市議会議員の役割を改革しました

 私の市議2期目のこの4年間で須坂市議会は大きく変貌しました。市と県や国の関係が「協力・対等関係」になった意識改革とともに、市議会の権能として市長の施策が市民益に適うか?真にこの施策が須坂の子孫のためになるか?を是々非々を政治信条として対応してまいりました。



検証2.全国の市町村が注目する須坂市議会に変貌させました

市議会で一般質問を議員が議長席の下の演壇で、議員席に向かって一般質問をすることは、これは明らかに国会や県会の猿まねでしかありません。ご承知のとおり国会は議員内閣制を布いておりますが、地方自治は市長も議員も直接選挙される二元代表制であって、両者が市民から直接選挙されるものであります。私は1期目当初から一般質問は対面方式を採用するように訴えました。

 平成15年2月に私は議会運営委員になりましたので、再三に亘って執拗に二元代表制の意義と議会での対面式の当然の理を説きました。その甲斐あって平成15年12月議会は「従来の登壇方式と対面方式と並行して採用する」こととなり、ここに須坂市議会は対面方式(一問一答式)を実現することができました。

 どうです!対面方式を導入すると、全国の市町村議会から仕組を学ぶために、この須坂市議会に視察が殺到するようになりました。私の提唱を平成11年に聞き入れていれば、「画期的な対面方式を採用した須坂市議会」として地方議会の歴史に須坂市の名を刻めたものをと思うと残念でなりません。


市民が主役のあらわれとして「行動的な委員会」を全国の市議会に先がけて導入しようと、平成18年2月に総務文教委員会で提唱し、更に委員会の視察等で先進地の実情を調査し、議会事務局と怠り無く準備を進め教育委員会やPTAの絶大な協力を得て、8月28日に森上小学校、30日は墨坂中学校で、『出向(ad hock)委員会』を実践しました。


「北朝鮮の核実験に抗議し、全ての核兵器及び核計画の放棄を求める声明文」を提唱しました。平成18年10月11日、須坂市議会は閉会中にも拘らず即日に、会派代表者会議、議会運営委員会と議会全員協議会を順次重複して開会して、須坂市議会が恒久平和を願う市民の思いを、機を逃がさす国の内外に示せたと思っております。


須高広域消防運営協議会委員である私は、平成18年2月23日の会議において「消防本部経費は、小布施町も高山村も応分の負担をすべき」と発言しました。これを受けて須高3市町村の助役が6回に亘る協議を経て、同年10月17日の協議会で「本部通信指令員の人件費を3市町村は均等割5%、人口割95%の負担割合をする」議決がされました。須坂市は、平成20年以降に最低でも年額凡そ1100万円余の負担軽減が図られることとなります。長年に亘りタブーとされていた事案の解決をすることができました。


【私の3期に向けての提唱と市のH19−21実施計画への反映】 
一般質問で取上げた、消防団員の危険防止のための活動服は、平成19年度中に活動服の支給が実現されます。

民主主義社会とは、安倍晋三総理大臣が言われるように「選挙で選ばれる政治家こそ政策決定の責任者」でなければなりません。これからの地方議会は、議員は議会で決したことに議員も政治責任を持つことを意味します。その意味では、情報の収集とともに情報の分析能力が課題になります。

報告その2.「中心市街地の商工業者の復興を図り、街に活気を取り戻します」について

検証1.中心市街地に活気を取り戻す手立てを構築しました
 広小路の道路整備や八町線の整備計画を唱えることは、「まちづくり三法の改正」を好機と捉え、中心市街地の息を吹き返させ、将来的に郊外に出て行ってしまった住民を、町場に戻って来て頂くための施策の一環です。

 活気みなぎる町に復興しようとするには、町が街を形成していることが一番大切と思います。
 
検証2.須坂の復活は おまつりにあります
降雨時の市街地商店街への溢水や水路の悪臭解消の陳情 ⇒ 市と当事者との仲立ちを図り円満に2件の解決
をみました。

市内に張り巡らされている水路を復活する提唱  ⇒ 市は可能であるかを調査中です。

須坂を売り出すために「須坂小唄」のバージョンアップを提唱 ⇒ 編曲が実現しました。

作曲家中山晋平の手にかかる、須坂、中野、飯山、野沢温泉、十日町の各「小唄」が手を結び、5市村が1週間に渡り次々に小唄祭りを連続的に催すことを提唱 ⇒ 中野市、十日町市を訪ねて、須坂市と「小唄」で手を結ぼうと交渉しました。感触は良好でした。


【市議3期に向けての提唱】 中心市街地の商工・観光の振興を促進します!
 須坂市動物園の「ハッチとクララ人気」を一過性な話題として終らせることなく、蔵の町並み、米子の滝、臥竜公園、クラシック美術館等や田中本家博物館、更に市民が秘蔵される宝物を展示する場所として笠鉾会館を開放し、これらを『点と線を面とする・あなたのオリジナルな須坂巡り』として世に売り出し、歩いた後は須坂温泉か湯っ蔵んどのお風呂で!須坂のために公共も民間も共に肩を組むべきです。

 更に近隣市町村との共存共栄の観光と、ある程度距離を置いた町との観光協定を結び、この須坂に多くの人々が押しかける町に変えようではありませんか。


報告その 3.「須坂の子弟は、須坂が育てる教育を提唱します」について


検証1.峰の原の児童・生徒も須坂の宝です!
 私は、平成12年9月定例会外延べ4回に亘り、一貫して「峰の原高原に住まう須坂の児童・生徒は同胞である仁礼小学校、東中学校で学べる施策を執ることが望ましい姿である」ことを訴えました。

 当時の県道も現在は国道406号となり、更に冬季間の除雪も常時なされ、車の通行が通年可能であることを考えると、「通学の利便性や安全性を優先して上田市へ」の理由は些か説得に欠けるからです。⇒ 教育委員会も将来的な融和策を検討中です。


検証2.子どもや女性の安全施策にこだわりました
 日本はいつの頃からか、何故こんなに無秩序な社会に成り下がってしまったのでしょうか。私は議員になって毎議会ごとにと言ってよいほど一般質問において、「夜道でも女性が独りで歩ける須坂を実現すべし」と、須坂駅周辺の環境整備を訴えました。

須坂駅前をパトカーが夕方から不規則に巡回されているのをご存知ですか。「駅前交番復活」の実現を果たすために私が警察の署長さんと意見交換をした折、高校生や女性を守るために実現されたものです。

平成14年12月議会で「駅から離れている駐輪場の利用は夜が怖い!」と電車通学されている高校生の要望を取上げました。⇒「中央駐輪場」が建設されました。市は駐輪場の拡大を検討中です。


【市議3期に向けての提唱】 須坂のこどもは、須坂が育てるもの
 データーでは「子どもが犯罪の被害に時に何をしていたか?」では、「学校の登下校の途中であった」が一番多いのです。市教育委員会が市議会に示した「不審者情報に関する報告」の3件は、いずれも女児で、そのうちの2件は「学校の登下校の途中であった」ことも忘れてはなりません。

 次世代の郷里須坂を背負う子どもらに、勇気と希望をもった背筋の伸びた子として、みんなで須坂のこどもを育てようではありませんか。



報告その 4.「できることを分かち合う 温もりのある福祉を目指します」について

検証1.福祉の目的は何かを迫りました
 平成17年度の須坂市の一般会計決算構成をみますと、民生費と衛生費の合算額はおよそ58億1080万円であり、歳出総額の31.6%を占めております。かってのように「あれも、これも」から「あれか、これか」の選択をせざるをえないのがどの自治体の実情であります。

 然し財政難のしわ寄せを立場の弱い人たちや高齢者にその犠牲をかぶせるようなことがあってはなりません。いかに須坂人としての尊厳を護ってあげるかが、福祉の目的であると思います。私は「政(まつりごと)とは、古今洋の東西を問わず民への温もりである」と思っております。


【市議3期に向けての提唱】 温もりのある福祉社会の構築を更に目指します!
 一人の女性が生涯に産む子供の平均数の推計値である合計特殊出生率が、5年連続で過去最低を更新し、平成17年は1.25となった(H18年6月2日付産経新聞)ことはご承知のとおりです。
 
 なぜ理想の数を産めないのでしょうか。その理由として「子育てや教育にお金が掛かり過ぎる」「高年齢で産むのは嫌だ」「育児の負担に耐えられない」「仕事に差し支える」「健康上の理由」「欲しいができない」「家が狭い」「夫の協力が得られない」…ことが挙げられます。女性の出産や子育てに国(市)が手を差しのべることが必要です。国が今この危機を無為無策で子育て支援策を怠れば、取り返しのつかないこととなってしまいます。

 このまま人口減少に歯止めがかからないならば、このことが年金などの社会保障制度や労働力への影響が懸念されます。脅かしではなく国(市)は滅びてしまします。子育て支援策の確立こそ喫緊の課題として最優先で取り組みます。



報告その5.「民営化を図り市職員の大幅削減を提唱します」について

検証1.民営化を訴えて、小さな須坂行政庁を唱えました。
 私は、皆様ご承知のとおり民営論者であります。「須坂市自身が行財政・組織改革を真摯に取組みスリム化を図る」ことです。

 市民ができる仕事内容ならば「あえて公務として須坂市が職域確保する必要性はなく、これを市民に開放し市民の雇用の場を創設すること」が有意義だと感じております。今後もひるむことなく民営化を図る施策を唱えてまいります。


検証2.議員定数削減により議会費総額の削減を図ります。
 2000年4月の地方分権一括法施行により、市議会議員の課題は、市議会に課せられた本来の予算や条例を議決する役目や、監視的な権限や専決処分の承認はもとより、本格的な地方分権時代に呼応した市民の代弁者として、市民の自由と権利を護りうるかであります。

 私は「身の丈に合った小さな須坂行政庁」を標榜し、市職員の削減を唱える議員である以上「櫂より始よ」と心得て、議会費総額を減らすため議員定数4人削減に踏み切りました。

検証3.正規職員およそ100名余の削減が叶いました。
 私は平成11年に「職員を200名削減する」を提唱ました。平成10年度の須坂市の正規職員数は617名でありました。当選以来一貫して「小さな行政庁・職員削減」を唱え続けた結果、平成18年4月現在の正規職員数は522名であり、足掛け8年で95名もの職員削減が行われたのであります。

 18年度末には団塊世代の退職者等によりその員数は百を超すと思います。大変歳月のかかる課題ですが、確実に進んでいることをご報告致します。


【市議3期に向けての提唱】 柔軟で効率的な行財政の推進を図ります!
 私が市議会議員になる前に唱えた須坂市の課題は、今や国家も受け入れざるを得ない国政的課題と申せます。

 今後も須坂市民の皆様への行政サービスの低下のなきよう配慮しながら、須坂市の自立を念頭に置いて、聖域なき行財政改革や民営化を提唱します。

 職員の削減は、『07年問題』こそ須坂市が「小さな行政庁構築」のチャンスととらえるべきと考えております。「佐藤壽三郎は生意気な男!」と巷間で言われておりますが、「気力に欠けた市議会議員が市民のために役立つか?」の問題です。『須坂は須坂たれ!』が私の心意気です。



第2章 私の議員2期目・任期後期の議会活動報

1) 市議会議員佐藤壽三郎の2期目後期の議会内活動は次のとおりでした。ご協力ありがとうございました。

総務文教委員会 ⇒常任委員長として、市民の心の痛みを素直に汲取れたか?を自問する毎日でした。
議会運営委員会 ⇒委員として「議会の使命は何ぞや」を議会に説きました。
須高広域消防運営協議会 ⇒委員として、須坂・小布施・高山村とで共助することの必要性を説きました。 
須坂市議会定数等改革検討委員会 ⇒委員として、須坂市議会百年の計の思いを説きました。
須坂市社会福祉協議会 ⇒監事として「真にぬくもりを求める人に伝えているか?」を問いました。

2)2期目前期の議員活動は次のとおりでした。

総務文教委員会常任副委員長 
議会運営委員会委員 
議会報編集委員会委員
須坂市・高山村任意合併協議会委員 
須高行政事務組合議員。


3)所属会派と仲間の議員   会派:自由クラブ
     会派代表:佐藤壽三郎 幹事長:丸山久雄議員 相談役:植木新一議員


第3章 議員活動報 etc

★ 議員活動報を 日報・週報・月報・年報、定期報告会等でお伝えしてきました。
日報「千曲のかなた」須坂市議会議員佐藤壽三郎ホームページ上に連載しました。
週報「佐藤壽三郎メールマガジン」(発行済号数・Vol.204)を配信しました。
月報「会報ことぶき」(URL版共通・通算発行済号数・NO.99号)を配信しました。
年報「会報ことぶき・統合版」(通算発行済巻数・第12巻)の発行をしました。
市政報告会・研修会を年1回開催してきました(通算8回)。
市民相談・行政相談を随時受けました。議員としての陳情処理数はおかげさまで群を抜いております。



★★★ 生涯の誇りと思うこと。己のためでなくみんなのために・・・ ★★★
私が40歳後半の頃の話です。宅建取引主任者、行政書士の受験資格は高卒でした。「学歴は一概に本人の責任だけではないのでないか?この高卒要件を外すことこそが青少年に夢を与える!」と国に訴えました。国は高卒要件を受験資格から削除しました。国家資格は、やる気のある本人の努力によって得られるものであり、当然の姿だと思っております。

私が36歳の折、国民の権利擁護ために行政書士に代理権を付与されるよう国に訴えました。そもそも行政書士は明治5年の代書人制度発足から法律職であり、その使命と権能を再認識さえすれば、時代を超えて市民にとって一番身近で、かつ頼りになる資格と確信するからであります。
⇒ 国会は漸く動き行政書士に代理権が付与されました。「まちの法律家・行政書士」が国家から認知された瞬間です。明治5年の代書人制度発足当時の夢はるかと感じます。

        自著「行政書士の使命」にワープします。