商いの種


 二十歳代に東京に行くには、当然国鉄でしたが、鈍行、準急、急行で行く方法がありました。そのうちに特急あさまが登場しましたが、学生でお金はないが時間がある私は、鈍行や急行を使って上京しました。
 
 現在はどうでしょうか。東京に行くには新幹線一本であります。在来線は採算が合わないのでご承知のとおり廃止されました。しなの鉄道では直通で関東に行けません。一家して夜逃げする場合も新幹線ではお金がかかる話です。学生も収入がないのに新幹線で往復をしなければなりません。これすべて親の負担です。譬えが悪いかもしれませんが、すべてが海老の天婦羅そばです。
 新幹線が敷設されてかっての在来線の〇〇本線は、その殆どが民営化第三セクター化され、スピードだけを求め、庶民の利便性を無視したものとなっております。

 ところで、そば屋さんに行くといろんなメニューがあります。かけそば、もりそば、大盛、山菜、天婦羅、たぬき、きつね、月見等と幅があるのがすばらしい。
 本人の嗜好もあるが、銭がないときはかけそばで十分ではないか。それが卑屈にならないで選べるところに、そばの嫌味がありません。
 それとすばらしいのは、具を除いて、そばと汁は値段に関係なく一緒、薬味も一緒であることです。江戸時代から庶民の財布を知っている庶民であったそば屋さんの気遣いだと思いませんか。そんな伝統を守っているからこそ、不況でも客足が途絶えないのです。
 
 日本の失われ行く「巾」と「思いやり」を嘆くのは私だけでしょうか。日本経済再生は、以外にこんなところに、商いの種があるのではと思えてなりません。

2002/12/06 (金)