江戸時代までの公文書である候文に遊ぶ


 私が一人ハマッテイルものがある。銭のかからない至福の旅行であります。安倍清明が毎晩黄泉の世界との往来を井戸からしたように、私も古文書から江戸時代の候文の世界に入り込み、そこから武士の世界や庄屋や名主が書いたと思われる古文書を通して、日毎・毎晩一人で刀も差さないで、ちょんまげも結わず、江戸時代の街を闊歩して歩くことであります。

 候文はご承知のとおり「丁寧文」と言えますが、敬って敬っての文章の言い回しが、どうも私には「度の過ぎたくどい言い回し」が慇懃に思えてなりません。

 当時の時代背景を勘案すると、将軍様の『お上』のご意向やらのご機嫌を損ねることが、命を落としかねない時代背景を思うとき、候文社会も仕方のないことであったのかなとも思います。

 横着に炬燵にあたりながら古文書をめくると、そこは将に「ドラえもん」の「何でもドア」であり、恰もタイムマシーンで降り立ったところ(ページを開いた箇所)が江戸の町であったり、江戸城内であったり、はたまた地方の大名の城下町であったり、片田舎の代官所であったりで、これが面白くてなりません!

 江戸時代に、庶民は候文の言葉を日常使っていたとは思えませんが、代官所なり、藩の役所に伺い文等を差し出す際は、定型書式なり文書書式に則って書かれたものが候文である以上、これを解読することが堪りません。更に現代文に自分なりに解釈するのですが、現代文と全く異なった意味のものもあり、或は死語となっているものもあり、大変勉強になります。

 もう少し、自由自在に候文を駆使できるようになったら「候文で手紙を書こう会」を立ち上げたいと思っておりますし、日報・千曲のかなたを全文候文で認めようと思っております。



2007/11/23 (金)