学生時代の映画館通い
                                      泉小路 萬良

 今や本屋で名画のDVDを1週間借りても、たった100円で借りられる。もう四十数年前の学生時代の話しになるが、大学からの紹介状を携えて、私は矢来町の日本英語教育協会にアルバイトの面接のために訪社した。幸いにも大学の大先輩が幹部でおられて、「何後輩か!」の一言で採用がかなった。このときほど一面識もない後輩にチャンスを与えて下さる大学の先輩・後輩社会のありがたさを知った。世の中は邂逅という因縁が織りなす摩訶不思議な社会であることを知らされた。

 学生時代私は学生服で通していた。と言うより上京する際に持参した2着の学生服しかなかったからである。上京したての私の行動線を図式すると学校と下宿とアルバイト先とはEの字のような電車利用で始まったが、国電一本でもなく、さりとて地下鉄一本で済まされなかった。当時の東洋大学は山手線と中央線の丁度真ん中辺あるので、国電の駅から徒歩では遠く、どうしてもバスか都電で通学せねばならない交通不便な所にあった。現在は地下鉄が敷けて交通事情が全く変わり、地下鉄も都営三田線や東京メトロ南北線でJR山手線や中央線と接続出来ている。

 日本英語教育協会は卓球台が整備された会社であり、当時土曜日は半ドンであったので、午後はアルバイト仲間と卓球に興じていたが、ある日神楽坂の坂を下り飯田橋まで歩いてみることとした。旺文社事業部、新潮社から神楽坂駅まではゆるい坂道であった。駅前の三差路を右折し飯田橋方面に歩くと、やがて坂になる。神楽坂の商店街は道幅がそう広くはないが、歩道が整備されていている坂道が飯田橋駅方面に続いていた。初めて歩く町並みは垢抜けした雰囲気があり、何か郷里の広小路が御蔵町を歩くようであった。「ここが神楽坂か?」と名前だけは聞いていたが、神楽坂は活気がある街であった・・・

 私はこの日の散策で佳作座という低料金で見せてくれる映画館を発見した。

 映画について言えば、郷里須坂は明治・大正時代に製糸業で栄えた経緯と企業の戦争疎開で大手企業が須坂にあったこともあり映画館が4館もある町であった。高校時代には面白そうな映画がかかると映画を観に行ったが、3本立て興業は定食を三食一度に食べるようなものでとても食べきれない。3本見終えると半日近くの時間が必要であった。受験勉強もしなければならない高校時代に、須坂に1本立ての映画館があればと思う時もあった。然し庶民の娯楽といえば映画であった時代に、てんこ盛りの3本立て興行は、勤め人の人たちにとっては唯一の娯楽であって、心の癒しに必要であったのかもしれない。需要と供給の構造が成り立っていたのである。

 洋画は封切りからある程度の時間が経過していたが、慕情や旅愁、誰がために鐘が鳴る、ローマの休日、007は思い出に残る名画である。邦画は洋画と違いそのような封切りからの時間差はなかったと記憶する。東映、日活、東宝、新東宝、大映、大倉映画等が殆ど封切りで観れた。大都会に劣らず比較的恵まれた環境にあったと言える。その点は還暦を過ぎるなかで須坂文化を担った人々に感謝をしている。

 佳作座は入場券が確か100円であった。当時2万円程度のアルバイト料で、部屋代光熱費に7千円ぐらい、食費に8千円ぐらいの見当での生活のなかで、100円で映画が観れることは嬉しかったが、入場してみると満席で立ち見である。これには聊か参った。郷里での映画鑑賞は立ち見で観ることなどは、学校の生徒会主催の映画鑑賞会ぐらいのものであって、椅子に深々と座り心行くまで映画を見入った経験からすれば、行儀正しく正座して映画を見ている周りが寧ろ異常に見えた。

 それでも、日本英語教育協会から弁護士の書生に戻る半年間、映画に餓えていた私は土曜日になると、努めてこの佳作座に通った。然し、佳作座でどんな映画を観たかと振り返ると、実は題名が浮かんでこない。映画館では日頃の疲れから眠っていたのではないかと思われる。空いた座席に座ると今まで立ち見でいたこともあってかうとうととしてくる。映画もところどころしか観ないが、佳作座は大勢が居るが殆どが学生であることもあって、誰も知らない都会生活での緊張感から解放してくれる、安心して仮眠できる場所でもあったからかもしれない。

 映画を何本鑑賞したかも大切な自慢になろうが、同時代の若者が同時刻に同じ映画館に居合わせ、同じ映画をみる時間的・空間的共有も又有意義なものと言えまいか。青春の思い出の多くは、特定できない人たち、名乗りあう機会もなかった人たちとの時間的・場所的共有の中で、個別的、特定的に時間を過ごした事実として成り立ち、その時間的共有事実がその場に居合わせた人々にとっても、生涯忘れられない宝珠として心に残っている価値観であろうか。映画の魅力は将にそこにあるのではないか。

 譬えるならば、雪柳の一輪が個々の己であって、幾つもの一輪が映画館に居合わせた学生たちの数と捉えるならば、偶然・必然的な時間支配と、やはり偶然・必然的な空間の共有をつなぐものが枝であり、これらの諸々を包括的に囲い込むものが、写真の枠即ち映画館そのものとらえられれば、私の考えもご理解されるだろう。


2012年4月25日記す