東洋大学白山学舎の思い出 その2

 今は取り壊されて無い白山旧2号館を思い出しました・・・

 上京したての私は西も東も分からず、2号館屋上に登ると、夕方遠く霞んで見える山が、頂きが白いこともあってか郷里長野の浅間山と思い込み、山に向かっては「故郷の山に向かいて言うことはなし、故郷の山はありがたきかな・・」と、郷里に向かっては気合を入れ直して過ごしていました。

 ところが、あるとき東京育ちの学友から、「おい!あれは富士山だぞ?」と教えられて、「えっ?」と声を詰まらせました。学友は凡そ90度向きをを変えて、上州連山(当時は分からなかった)の奥に鎮座する山を指差して、「あれが浅間山だ!」と教えてくれました。「およよよっ!」俺は今まで何をしていたんだ?と情けなくなりました。知らぬが仏とはこのことです。
 
 長野県は縦に長い県であり、富士山のかなた先だと南信地方になってしまいます。私の生まれ在所は浅間山の更に北に足を運んだ北信であります。全く方角違いをしておりました。

 浅間山になぜこだわるかと言いますと、早春に汽車で碓氷峠を下りたときに、最後に車窓から見た信州の山が雪をかぶった浅間山であったからです・・・

 大学の屋上から故郷の山の恰好をした山を必死に探しました。故郷の北アルプスや北信の山々は見えませんでしたが、浅間山は見えました。嬉しかったですね。こころが一気に軽やかになりました。そんな訳で、気が滅入ると屋上に登っては浅間山とにらめっこをしました。その先に故郷須坂があると信じていました。

 山国に育ちながらも、北信からは富士山は見えません。富士山は北アルプスに登山したおりに、幸いにも遥か遠くに見たことがありますが、豆粒ほどの富士山で、近くで見たことが無かったので間違いをしてしまいました。学友に教えてもらうまでは、富士山を浅間山と信じて声を掛けては郷里を思い出していたことになります。私の地理感が凡そ90度ずれて、遠方の山並を見ていました。

2011/6/12記す。