囲碁は生涯の友


 若いころの話である。須坂で指折りに入る囲碁の先生に「囲碁の初段には何通りかの初段がある」と言われたことがある・・・
    1.寧ろ1級に近い弱い初段
    2.1級と初段の中間の実力の初段
    3.初段
    4.初段より一寸強いかなと感じる初段
    5.極めて2段に近い強い初段
   

 「えっ!初段にはそんなに開きがあるのか。」と聞いて驚いた覚えがある。亦、ある人に言わせると「初段には7段階の幅がある。」とも言われたが、7段階の仕分け論は忘れてしまった。私には初段は初段でないのか?と当時は全く理解できなかった。
 
知恵と知恵の比べ合いのゲームであることからして、知恵者が勝敗を支配する囲碁は、なるほど初段と言っても、限りなく1級に近い初段や、限りなく2段に近い初段の評価は許されると最近は感じる。

 私は好敵手と「三番手直り」で打ち進めるが、体調が悪かったり、雑念があって思考が集中出来ないときは、黒から2子、更に3子に打ちこまれる。落ち込まれて置き石が増えるときは容易いが、三連勝を重ねて相手の石を減らすことは容易なことではない。何回かの置き碁のやり取りがあって、やがては落ち着く処に落ち着くのがアマの囲碁の手合である。

 鮨は別腹、酒は別腸、碁は別知恵の譬(たと)えもある。30歳頃に洟(はな)を垂らした少年と碁を打ったことがあるが、この少年ときたら強いのなんの何遍挑戦してもコテンパーに負かされてしまった。全てが中押で全く勝負にならなかった。余りにも屈辱的な思い出したくない思い出である。然し囲碁は別知恵、頭の良い奴が必ず勝つところが亦魅力でもある。

 学生時代に「囲碁クラブ」を愛読していたが、ある号で囲碁に「斧腐(ふふ)」という中国の伝説が掲載されたことがあった。確か同県人であられた中山棋士が面白おかしく書きつづられていたシリーズの一話であった。

 中国でのその昔・・・
「樵(きこり)が山中に迷い込んで山中をさまようと、童が碁を打っているところに出た。樵は碁に心得があったらしく童たちが打っている碁を観戦することとした。童たちは時々木の実を口にしながら囲碁を打っているが、傍らにいた童から樵はこの木の実をもらって食べた。やがて日が傾き童たちは立ち去った。樵も家に帰ろうとして斧の柄を持とうとしたら柄は朽ちていた。「はて、どういうことだ。」と樵は感じたが、山中での童たちと過ごした時間が斧の柄が朽ちるほどの途方も無い時間(歳月)を要してしまったようだつた。樵は山中を漸く抜けだして村に帰ったが、知っている者は誰も居なかった。してみれば山中の童たちはどうやら仙人であったと樵は思い知った・・・」内容であったと記憶するが何せ二十歳代の読み切りで定かでない。

 要は、囲碁は時間を忘れてしまうほどに熱中させる魅力があるということであろう。商人(あきんど)は「碁を覚えるな」言われた理屈も分かるが、兎に角面白い。学生時代ある土曜日の夜に友人と囲碁を囲んだ。何番か打って気が付いたら朝であったことがあった。「えっ?朝か」そんな青春時代を過ごした親友も黄泉に旅立ってしまった。彼が盆等に帰省し訪宅してくれたときは碁を打ったものである。彼と打った棋譜を残しておくべきであったが、PCソフトがある訳でなく、我々の力量では並べ直しなど到底望めるものではないが、我々にとってもヘボの名局も何番かはある。今となっては惜しい限りである。

 囲碁は年齢に関係なく、いま一目強くなりたい飽くなき求道心が湧くのに魅力を感じる。一路違う所に石を置く事によって全く違う局面が展開するが、このことは将に人生の邂逅と似ていて意義がある。「待った無し」の囲碁と「待った無し」の人生は共通する厳しさが堪えられない。そこに魅力があるから人々は時代を越えて碁を嗜むのだろう。一度童(仙人)の打つ碁を観戦したいが、たった1日の観戦が家路に着いたら百年も歳月が経っていて誰一人知らない里になっていたでは、これも困る話である。

 時間のない時は、独りで碁石を指に挟むことで心を落ち着かせている。

2012/5/11記す。