一生もんの友情を育んで欲しい


   
須坂市立墨坂中学校に入学した学生諸君に贈る言葉

平成十年度PTA会長 佐 藤 壽三郎


 新入生の皆さん、ご入学おめでとう。皆さんは本日より伝統ある須坂市立墨坂中学の生徒であります。


 男子諸君にあっては、詰め襟のホックがこそばゆくてならない時期であります。しかし、これも男の子として凛々しく成長するための試練だと心得て我慢してください。制服を着て過ごす期間が極めて少なくなった現在、大変貴重な体験だと思うからであります。そのなかで、男の子は凛々しいなかに、男の本質は優しさであることを見つけて欲しいと思いますし、女の子はしおらしさのなかに、人を思いやる優しさを秘めた娘に育って欲しいと思います。どうか制服を毎朝着るときに、中学生ぶるのではなく、中学生らしくとは何かを自問自答して欲しいと思います。


 ところで皆さんのなかには、自分の意志で墨坂中学校を選んだ訳ではない。と思ってる人もいるかもしれません。果たしてそうでしょうか。


 世の中には、邂逅という言葉があります、平たく言えば人の出会いです。この邂逅は幾重もの偶然の重なりあいが、結果的には宿命的出会いと言えるものとなり、一生を左右するほどの重要なものであることを知るべしです。


 昭和六十年・六十一年出生という時間的な偶然と、地球上の数ある国のなかから、日本、須坂市、墨坂中学校の通学区域と絞られるなかでの、いわば地域的・地理的偶然の重なりあいがあり、さらに今日ここに命あればこそ同級生として、墨坂中学校第四十一期生としての百九十九名の宿命的な出会いがあるのではありませんか。すばらしいことだと思います。どうか、この出会いを天に感謝をし、一生もんの友情を育んで欲しいと思います。


 中国に李白という詩人がおりました。今から一千二百年も前の人です。この李白が『天 我が材を生づる 必ず用有り』と詠いました。


 天から与えられた我が才能は、必ず世の中で必要とされる時が来る。と言う意味です。しかし、凡人には必要とされる時がいつかは分かりません。明日かも知れないし、十年後かも五十年も後かもしれませんが、必ず来ると李白は詠ったのであります。私も李白に同感です。問題はその時節到来のときまでに、何をなすべきかなのであります。時節到来の為に己を磨くことでありますが、学問に運動にありとあらゆるものにチャレンジをして、これだけは誰にも負けなものを見つけだし、精進することが肝要かと思います。皆さんは、日々の生活の中で、天から与えられた我が才能は、必ず世の中で必要とされる時が来る。このことを肝に銘じて、三年間という極めて短いが重要な中学生時代を大切に過ごして頂きたいと思います。


 将来、カーッとしたり、悲しいことや切ないことがあったら、今日の入学式を思い出して欲しいと思います。須坂市が、議会が、教育委員会が、皆さんの住んでいる区長さんを初め町の主だった役員さんがこの入学式に参列され、この日以来皆さんに智恵を授けてくださり、かつ皆さんの生涯に大きな影響力を及ぼす先生が、皆さんの後ろの席には、お父さんやお母さんがわが子の晴れ姿と幸せを願て、瞬きもせず見守っていてくれるこの日のことを、是非思い出して欲しいと思います。思い出したとき、きっと皆さんに勇気が湧き、笑顔がもどり、優しくなれると思います。それが墨坂中学に学ぶ所以です。

 ※本稿は、PTAの会長として入学式に生徒に問いかけたスピーチですが、佐藤壽三郎議員が掲げる自由と正義を知る手立てとなるものであり、聞き入った生徒たちに大きな影響を与えました。