諫言の意味するもの


 須坂市長永井順裕氏は、総合体育館建設計画凍結すべき小職の諫言を聞き入れられて、「計画の凍結」を宣言した。長引く景気の低迷や富士通リストラの事態を勘案した場合に、当然の理由付けである。この間の諸々の経緯や事情は方々で語られ或いは報じられているので、ここで言及はしない。

 為政者たる市長が、公約として市民に約束をした以上、実現に向けて必死に行動をすることは当然の話であり、この点をとやかく言う筋合いはない。しかし取り巻きの人たちが状況を誤り、或いは口を閉ざした場合にどうなるかである。市長は現実を見失い、状況が聞き取れないことにより適切な判断が出来るかである。即ち真実が分からなくなってしまう怖さである。これを救うのが「諫言」ではあるまいか。誰しも恨まれることはしたくはない。私とて亦然り。

 私が平成14年3月議会の一般質問で「総合体育館計画は速やかに凍結されたい」と、会派政和会を脱会してまで発言したことについて仲間から賛否があった。

「裏切り者!」とも謗られたが、あるとき支持者の女性より「徳川家康は主君に対する諫言は、一番槍よりも値打ちがあると言っている。あんたの諫言も市長にいつか分かるときが、きっと来るからめげなさんな。」と励ましを頂いた。この一言に大変勇気付けられ、僕の心は救われた。

 なるほど、一番槍は武士にとって最高の誉れのはずであるが、家康は「諫言はそれ以上」と位置付けたと言うところに、家康が天下人になれた所以がある。私にこのことを教えてくださった支持者の女性に深く感謝している。そして、私の支持者には私の言動を冷静に見守ってくださっている人がいることを誇りに思った。



2002/10/05 (土)