地方議員は片手間で務まる時代でない

                     市議会議員 佐 藤 壽三郎


 「地方議員年金見直し」を協議するため、急遽県内19市の議長が松本市で臨時議長会が招集され参じました。

 廃止された国会議員年金と地方議会議員年金を同一視されては、地方議員としては迷惑千万名話であります。

 私は地方議員年金を「議員の特権」とは聊かも思いません。寧ろ市民のために日夜時間を問わず、一心不乱に只管更なる政治の改革を考える。真剣に地方を、国政を憂える心ある地方議員にとっては、国の弱いものいじめの横暴さにいきり立つものであります。「恒産なくして恒心なし」は心に留めて置かねばなりません。

 少年・少女たちが将来地方議員になりたい希望を抱くような地方議会を構築するためには、地方議員の身分保障も現職の我々がその道筋を確かなものにしておいてあげなければ、優秀な人材は地方議会に集まらないと感じます。議会は市民の言いなりに弱腰になって本質を変えるならば、そのつけは結局は市民に降りかかるのです。

 地方議員を一昔も二昔も前の、町の顔役が片手間に議員を務める程度の、名誉職と考えておられる御仁に申し上げるならば、そんなぬるま湯的な議員心得では現下の地方分権時代の議会活動は少しもできません。

 議会はルールによって運用されるものです。仮にこの約束事を守れず何遍も初歩的な誤りを正せない議員は、これは最早議員の資質に欠けると言わざるを得ません。過ちを指摘されて尚恥と感じない以上、自ずからの反省もありえないし、市民の付託を受けている自覚も無いとすれば、もはや議員としての成長は望めないでしょう。これは市民に対する背信行為にほかならない。このことを肝に命じて議員は一生懸命なのです。

 民主主義とは、選挙によって選ばれた議員と首長によって、国や地方自治体の意思が決定され運用されることを意味します。この根幹を違えたならば、一時はそれでよいかもしれませんが、歴史を逆行するものであり、必ず人権を無視するに及びやがては自由が束縛され、時の権力者に翻弄された暗黒な時代になってしまいます。これは歴史が忌々しき事実として示しているではありませんか。

 たかが市議会議員されど市議会議員。市議会議員の一分(いちぶん)を示せる議員でありたいと思います。護るのは市民の自由権であり社会権でありますが、その前に地方議員の身分保障なくして何で見えざる権力に太刀打ちできるのでしょうか・・・

 県内19市議会の大多数が地方議員年金制度を支持することを前提とした、全国市議会議長会案を承認しました。



平成21年11月30日記す。