青春の追憶
これぞ将に青春時代の証しかや
                                      泉小路 萬良
 先日のNHK深夜便は「ザ・ピーナツ特集」であった・・・

 夜中の3時からなので、とても起きている訳にはいかない。そこでタイマーをセットして録音することとした。

 何故ならば、
 私が弟の様に誼があった彼は、定年を迎えると早々に逝ってしまった・・・

 彼とは生前、「忙中有閑」と称しては、あちこちの温泉にいったものである。
彼の車で出歩くときは、走行中は決まって「ザ・ピーナツ」のテープを流していたことを思い出したからである・・・

 改めて夜中に録音した「ザ・ピーナツ特集」を再生すると、彼がこよなく「ザ・ピーナツ」の歌を、愛聴した理由が頷けた。
「ザ・ピーナツ」は、万人が認める歌唱力と絶妙なハーモニーが心を打つが、それだけではない。
「ザ・ピーナツ」が歩んだ年代は、我々団塊世代が将に少年から男子(おのこ)になった、青春時代とオーバーラップする。
 即ち、「ザ・ピーナツ」の歌声は我々の青春時代の証しそのものなのだ。
「ザ・ピーナツ」の歌声を聴くと、無辜なあの頃の自分に自然体で戻れることを、彼は知っていたのだ。

 公務員に身をおいていた故に、息詰まる葛藤と軋轢を打ち砕くために、彼の安息は「ザ・ピーナツ」の歌声を聴くことだったのだと・・・
「ザ・ピーナツ」の歌声を聴いていて、彼の苦悶の解消手法かと合点がいった。

 成程なぁと得心した私は、暫し瞑目し故人の冥福を祈った・・・

 「一炊之夢」と語るは容易なれど、孔子が顔回を喪い落胆した気持ちが、時代を越えて私には判る齢(よわい)になった。
私が生ある限り、少年時代より知己であり、得がたい私の良き朋友であった彼を決して忘れまい。にも拘わらず、骨を拾ってあげることができなかったことの口惜しさが心に残る。

 せめて・・・
 折節に「ザ・ピーナツ」の曲を流して、彼の冥福を祈って回向したい。

2015年6月20日記す