涙流れて やまず

 どこの市町村議会も決算議会の最中であろう。決算内容は行政の諸々を垣間見る。ここに小・中学校の教育就学事業について触れてみたい。
 
 保護者の経済破綻は子弟に暗い影を落とす。市内の小学校全体で要保護、準要保護の実数は学用品193名・給食費が195名。医療費27名。修学旅行37名であり、中学校は、学用品106名、給食費105名。医療費8名。修学旅行29名であるとのこと。ちなみに当市の14年度小学校児童数は3,178人、中学校生徒総数は1,620人であった。

 終戦まもない私らが育った小・中学校時代は、敗戦の傷が未だ癒えず、砂ほこりが濛濛と立ち込める喧騒の状況であった。戦争の付けは重く国民に襲いかかり、貧富の差が服装で判るくらい接ぎあてを着ていた。食料事情もままならず、これではいかんということで、学校給食が始まった。当時を偲ぶと、先人の熱き思いに頭が下がる。

 願わくば、郷里の宝である児童・生徒たちは、親が大臣・貧困に関係なく伸び伸びと育って欲しいし、児童・生徒の年齢を勘案した場合に彼らは何も判らないし、自助努力を欲しても何も出来ない年齢ではないか。偏に保護者の支配下にあることを慮るとき、保護者としての資質を有しない親をいよってもち、この親によって人生を翻弄されたとしたら、あったものではない。市が『足長おじさん』の役割を十分に発揮して、児童・生徒が抱く将来の芽を摘まないように努力してあげなければならないと感じる。郷里の宝と唱える以上市も責任をはたさねば信頼は生まれない。

 教育就学援助事業は、教育を受ける権利を持っている児童に、直接なされることによって、はじめて彼ら教育の機会均等が保たれるものであり、わが子を食い物にする保護者の、生活援助のために行なうものではないことを、条例等に明記すべきと感じる。
 
 市よ、薄幸な子供らのためにもっと鬼になれ! 思うに、『経済的な不幸』なんてものは、人生における一時期のものであって、しっかり食べて将来ひとり立ちできれば、吹き飛ばすことができる代物である。子供らに持ってもらいたいものは、この制度を利用したからとして卑屈にならず、大志を抱いて欲しい。


2003/09/14 (日)