覚えたての歌を口ずさむ童女


 私の知人の孫娘がこの4月より保育園に通いはじめた・・・
あれから僅か2カ月余りになるが、私は人間にとって如何に教育が大切かと、この童女と会うたびにひしひしと感じる。

 馬や牛であれば、生まれ落ちて僅かの時間で立ち、母乳に辿りつく体力があれば、後は草を食べ草原を走り廻って一生を終えることが可能であるが、我々人間様は二足歩行を選び他の哺乳類と袂を分かつ分岐点から、単に本能だけでは生息できなくなった。木の上の生活から地上に降り立った時点で、智恵がなければとても肉食動物の餌食になるだけで、シマウマやヌ−でしかない。知恵こそが肉食動物に太刀打ちできたものであり、極めて後天的即ち教育によって人類が発展してきたことを考えると、この童女の賢さも頷ける。

 保育園に通うようになって、少しばかり経つと、「チューリップ」の童謡を覚えたらしく、みんなの前で歌って見せてくれた。彼女の人生における最初に覚えた歌として、彼女は忘れるかもしれないが、親たちの記憶に残るであろう。私自身も遠い遠い昔に、最初に覚えた童謡は何であったか覚えてなどいない。

 次に童女が覚えてきたのは「こいのぼり」・・・
これもみんなの前で歌ってくれた。

 数えて3曲目の童謡を、今教わっているらしい。これは未だ披露してくれないが、聴けるのが楽しみである。

 童女は日増しに耳と目の機能が発育して行くのが、童謡を例にとっても私にも分かる。保育園に通うことによって、多くの友達ができ、先生方との集団生活が成長に拍車をかけるだろう。必然これに比例して五官が発育して行くのであろう。然し、何故にも人様の子どもの成長は早く感じられてならない・・・

 この童女を見ていると、そこには我が子どもたちの幼い日々を思い出す私がいる。息子や娘が覚えたての童謡を自慢げに歌い、これを傍らで聴き入る女房や私は心地が良かった。こころが癒される時間でもあった・・・

 してみれば、人の世の子育てとは、今も昔も親と子が繰り返して来た歴史絵巻と言える。親がしてくれたことを子に注ぎ、子が受け継いだ愛をその子に注ぎ込む。時間を惜しんではいけない大切な受け継ぎであり、これこそがこの世に生を受けし者が生きた証しとしての足跡とも言える。何人の介入を許さない親と子の絆であり、至宝の思い出が後に残るものである。親と子の子育ての日々の消し難い事実と誇らいがそこにある・・・

 願わくば、全ての童たちよ、この白バラの如く、眩しく大きくなれ!


2013/5/29記す。