青春の追憶 |
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思い出の赤い電車と乙女 |
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学生時代のことである 下鉄丸ノ内線の中野富士見町駅は始発電車が朝夕のラッシュ時にあった。この電車に乗ると中野坂上で乗り換える必要がなかったので、中野富士見町、中野新橋の人々にとってはこのうえない便利の電車であった。多分今でもこの電車はあるはずだ・・・ 私は中野富士見町発8時10分台の始発電車にいつも乗っていた。 ある朝のこと・・・ いつものことであるが、中野坂上駅から本線に入るために、ホームを出た電車は大きく揺れると同時に瞬間停電で車内の電燈は一旦消える・・・ 本線に車体が乗ると電気が再び点灯した。 私の眼の前に一人の乙女が立っていた。 名前も知らないが今までにみたことがないような、目映い乙女が立っていた・・ 次の日から中野新橋から乗車する彼女を、見守るように毎朝見つめていたものだった。 この頃の私は国家試験受験に挑んでいたので、前の晩覚えた事柄を朝の電車で復唱するのが慣わしであった。 法律を学ぶための志しを抱いて上京している身には、二兎を追うことなど凡そ考えられなかったが、然し、今目前にいる乙女は天使のようにまばゆいではないか。 書生としては、せめて毎日静かに見守る術如かなかった。 一年ほど経ったある日、彼女は突然電車に乗らなくなった。 一度も言葉を交わしたことはなかったが、生涯に亘って心に残る乙女だ・・・ 会えなくなって、掌の宝珠がこぼれおちたような気持に駆られた。 取り返しのつかない空しさを知った。 賦命と邂逅と叶わぬ夢の狭間に揺れる・・・ 立志の成就と邂逅の奇縁を同時に欲深く掴むことはできない・・・ 高橋ともやの「思い出の赤いヤッケ」という歌がある。 丸ノ内線の赤い電車と、この乙女は・・・ 内気な田舎出の青年の儚くもせつない思い出として生涯こころに残るものとなった。 乙女の名前も知らない。東京の人かも、地方から出て来た人かもしれないが、生きていれば必ず彼女に再会できると信じている・・・ 「思い出の赤いヤッケ」の歌は今でも我が心を打つ・・・ |
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2013年12月29日記す。 |