恩師・宮下平先生を語る


 「高原の旅愁」この歌はご存知伊藤久男の名曲である。信州の情景を歌いこんだ歌詞に、私の友人はこの歌に酔心して「信州の第二県歌」として普及に努めている。第一県歌は勿論「信濃の国」である。「高原の旅愁」の歌詞内容は、将に青春時代に誰しもが出会い体験したか、或は心の奥底に秘めた淡い想いであるのかもしれない。

 高校時代の担任であられた宮下平先生は、大変山が好きであられた。夏休みには、学年の枠を越えて山に連れて行ってもらったものである。そう言えば、白馬の大雪渓に今年は惨事が起きてしまったが、僕らが登った当時も冷気に煙る雪渓で、アイゼンを着けて登った記憶は恰も昨日の様に思い出される。あの時一緒に登った仲間が先ごろ市職を去られたが、お会いして白馬の思い出を訪ねるとても眼が輝かれる。共通の思い出は理屈なしでその日に帰ることができるものである。

 こんなにも健康的で山好きの先生は、年若くして亡くなられてしまった。ご健在であられれば、屹度喜寿のお祝いを迎える御歳であられたか?山小屋に関わる番組や日本百名山の番組を見るにつけ、高原の旅愁や山のけむりの歌とともに、山好きだった恩師や仲間と重いリックを背負って稜線を歩いたことを思い出す。

 先生は、私に上京して法律を学ぶ道筋を開けて下さった。このこともあって、私は帰省すると先生のご自宅を訪問した。更にUターンして須坂に帰ってからは折節に先生をお訪ねした。難病に伏せられ闘病生活が快癒することなく死去されたことが残念でならない。私が生涯に亘って忘れてはならない恩人のお一人でもある。ご健在であられればと時々思う時がある御仁である。

 少年老い易く学成り難し、昨日は少年も今は白髪頭に成りたる。歳月を光陰矢の如しと譬えることも漸く判る齢になった。

2005/09/19 (月)