歴史のかなた その1


 有権者は市会議員が県議会議員や国会議員の手下であると判断する。選挙の為だけにお互いが動くペラペラの交友と思われ勝ちであるが、その点、小職は議員になる前から、こと国会議員とのパイプは揺るぎ無い信頼関係にある。また県議は市議会で同じ釜の飯を食べた中であり、このパイプこそが、須坂5万4千市民、長野県220万人、強いては、日本のためになると確信しています。

 閑話休題
 王政復古の大号令は果して必要であったのでしょうか。今、騒がれている合併問題を語るとき、ときを江戸時代末期まで遡る必要を感じます。なぜならば、この時期に今日の日本の統治に関わる問題が芽吹いていると感じるからであります。

 堀直虎公、ご存知須坂藩の第14代藩主でありますが、当時の幕臣では、井伊直弼公と堀直虎公が双璧であると感じます。それに比べ、将軍慶喜の余りにも不甲斐ない優柔不断さは、流石の直虎公も匙を投げたと申せます。外国奉行としての彼の自説を若し将軍が意志を強く持って推進していたならば、徳川幕府の瓦解はなかった筈であります。幕府が日本国の執権として、外交能力がなく、防衛戦力を持たないリーダシップを持たない将軍であれば、倒幕の狼煙があがるは歴史の理である。直虎公の諌死はその後の幕府の迷走を見ても、慶喜将軍には通じなかったと思われる。幕府はあたら制度の保身のために、直虎公を見殺し、吉田松陰等の人材を殺戮したと言えまいか。

2003/05/18 (日)