青春時代は臆することなく学べ

 須坂高校に定時制課程が廃止されて久しいが、本当に世の中は中学生が全員全日制に進学できているのであろうか・・・

 高校には全日制、定時制、通信制がある。一番努力しなければ卒業できないのが通信制高校であると思う。ならば、通信制は偏に本人のやる気に100%かかっているからである。誰も強制しないとなれば、果たして自宅で毎日3時間乃至5時間をそれも4年間以上机に向かうには努力がいる。克己心が強くなければ卒業はおぼつかないから、卒業は一番価値あるとした次第。通信制を卒業した友人がいるが、明らかにこつこつと努力して培った『地力』があると感じる。
  
 次いで、定時制である。仕事を持ち4年間を高校に通う制度が定時制である。働きながら学ぶことに価値があるとして2番に列した。しかし、最近の定時制高校は、昭和の20年代や30年代と事情が違うようである。システムは全日制と同じで、クラスがあり、担任の先生が付き、毎日出席をとることから、4年間は苦もなく過ぎてしまう。通学部の利点を備えているから卒業率が高いものの、「高卒資格取得」のために定時制に通った場合は、生涯に亘って「容易に高卒の資格を得た」ならば、付けは自分に回る。寧ろ本人に百害をもたらすだろう。登校していれば卒業できるシステムだとしたら、それは定時制の本来の姿ではないからである。やはりガリ勉も勤勉もない学生には卒業を許すべきでない。母校の名誉を肌で感じ得ないものを卒業させてはならない。

 全日制は、親に学資を出してもらって通学する分、のびのびと青春時代を送れる。これが本来の教育の姿である。全日制に学ぶ生徒の弱さは、親に万一のことがあった場合のもろさである。自活性に欠けることである。不況下の現代では事態はもっと深刻であろう。全日制生徒の1年間で退学をしていく数と退学理由を分析すれば、あるいは定時制制度を利用すれば、青春の蹉跌や挫折は多少なりとも救えるのではないかと思えるケースもある。

 十代の少年が「もはや駄目」と絶望すればその後の人生全てを失う。希望を遠回りしても掴む根性が必要だ!。青春は二度ない。学ぶことに貪欲であるなら、天より与えられた人生を、静かに受け入れて生きるを悟り、学校は学ぶ手段とぐらいに捉え、人生をもっと気楽にとも思う。県も教育行政として、少年から青年にまたがる時期の彼らに、学べる手段をいく通りも講じておいてあげる必要があると感じる。学ぶものへの夢を与える意味でも、定時制制度は残しておくべきであると今でも考えている。

 屋代線の廃止、平成の大合併と節約と合理性の追求の前に、我々の生活のあり方を、抜本的に見つめ直すことが必要だ。西郷南洲公は「子孫のために美田を買わず」と申されているが・・・

青年は臆することなく故郷を立て!学ぶ手立ての大切さを知って欲しい。高校も大学もやる気があれば道は開ける。田舎よりも都会の方が、意志さえあれば学べる機会が豊富にある。人生で最も大切なのは、学齢時期を逃がさないで学ぶことでしかない。

2011/7/2記す