地方主権時代の地方議会の責任

市議会議員 佐 藤 壽三郎

 
 「議会は何でもありき!」とする行動に心が痛む。法律家から見れば、「違法性を帯びているから容認できない」或いは「憲法違反や法律違反の惧れはないか」の警鐘にも耳を貸さずに、数の論理で可決してしまうケースが6月議会であったが、このことについて市民の皆様から「議員の法律知識の無知」に関してそれで良いのかの苦言が寄せられた。

 「議員の無知による判断」が果して「議会は何でもありき!」として罷(まか)り通るのであろうかと言えば、答えは「ノー」である。

 
 議会の審議のプロセスと結果(議決)において、違法性が疑われ、このことについて、利害関係人が議会を相手に異議を陳べた場合には、結局は最終判断は司法判断に任されていくことを、議員は忘れてはなるまい。

 議会内の一時の成り行きやいきがかりで、不合理な数の論理によって正論を踏みにじって議決を得ても、受益者(この場合は被害者)や市民なりオンブスマンが司法に訴えを起こし、議決無効の判決を得る場合もこれからの地方自治ではありうる。

 議案の質疑段階で、違法性はないか?行政手続きに手落ちはなかったか?客観的に見て不正義はないか?を、議論の展開と議決の挙手。分かりやすく言えば正当性のある理由づけに基づく議決への意思決定を心掛けているが、これこそがこれからの地方議員に求められる素養ではないかと、最近ひしひしと感じてならない。

 地方議会に上程された重要な議案については、議員の意思を確認する意味でも起立採決が求められ、賛成者、反対者の明確な記録をとる義務化が法定されるであろう。それが万一法廷に持ち込まれた場合の責任の所在の証しとなる。

 地方議会の「議会は何でもありき!」は、前述のとおりあり得ない。採決にあたっての討議や討論のやりとりを評価すれば、住民から片手間議員と目されている議員や法的知識を習得する努力もしない議員が、これからの議会活動の危険性を全く認識していないと感じる。市民は必然これらの議員を排除する傾向に進むだろう。議員の良識の物差しは、確かな論理に裏打ちされた意思決定であるか否かを、有権者は冷静に監視し採点している。



2010年08月20日 (金) 記す