江戸時代天保6年の須坂周辺の集落の地名 |
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市議会議員 佐藤 壽三郎 | ||
1) 古地図を広げて須坂の地名をあれこれ現在の地名と比較してみました。 灰野→灰埜 塩野→塩埜 野辺→埜部 興国寺辺りを→東谷 屋部→藪 坂田と北原の中間一帯を→上新田(現在の南原?) 大字小山高梨辺り一帯を→屋部高梨と表示 相森→相盛 今の高畑・旭ヶ丘一帯を→北河原 現在の豊島団一帯を→西沼目 相之島→桐嶋 と地名が表示されています。 2)上記以外に、当時の地図に表記されている集落名は以下のとおり 旧須坂町は単に須坂と表示 仙仁温泉→湯と表示 仙仁、浅間塚 宇原、仁礼、栃倉、八町、井上、幸高、米持、亀倉、村石、米子、小日向、坂田、小山、八幡、境澤、塩川、高梨、五閑、八重森、塩川、沼目、小嶋、別府、高橋、大谷、日滝、小出、春山、古家、町田、綿内、福島、中島、村山の集落の位置が示されています。 〇仙仁からは現在の国道406号の道は無かったで菅平には行けません。仙仁からは高岡、袖山、保科方面に通じる山道がありました。 〇須坂から大笹街道で江戸に行くには、仙仁ではなく、浅間塚から宇原川を遡り、黒門から山道を登り峰の原(現在名)に出て、更に根子岳、四阿山の山麓を回り込み鳥居峠に出て、更に大笹宿に至る行程でした。仁礼宿から大笹宿(上州)までは、中間に宿場が無いため、道中で山賊に襲われる追剥行為が横行し、犠牲者も多くいたと古文書にあります。 須坂から松代に出て、更に屋代で本街道である北國街道に合流する千曲川河東沿岸の谷街道を利用すると、江戸まで2日余分の日程と宿賃がかかることから、腕に覚えのある強者は、大笹街道を利用したようです。 |
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平成31年(2019年)4月30日 |
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