上野駅前レストランじゅらくの思い出



 上野駅前のレストラン・じゅらく(聚楽)は、団塊の世代の我々にとっては大変思い出の深いレストランである。このじゅらくが閉店となると何かしら一抹の淋しさを感じる。

 上・信越線、常磐線、東北線で上京した者にとっては、上野駅は終着駅であった。18番線ホームに降りて先頭車の先に改札と国電の連絡通路があった。不忍口を出た右手に「じゅらく」があった。

 上京したてで東京に馴染めない人は、或いは休日のときはこの「じゅらく」に行き、故郷につながる鉄路をみながら、故郷に残したおふくろや兄弟を思い出し、奮起して職場に戻ったことであろう・・・

 私の場合は、上京したての頃は「じゅらく」に感傷的に訪ねる暇は無かった。日曜日はとにかく平日の睡眠不足を解消するために爆睡した。更に1週間分の洗濯をし終えると最早お昼近くなる。やおらお昼過ぎは東京探索にあちこち出かけたこともあって、上野には出掛けなかった・・・

 東京生活に慣れると、上野の美術館や博物館を訪ねるようになった。思い出してみると、そう言えば同行したのは、同じ郷里の友だちである。心の底に「上野駅」は東京生活の原点であることは隠しきれない。美術館等の帰りにはこの「じゅらく」に立ち寄って食事をとったものである。細長い回廊みたいな店舗で、下駄箱から欄干の橋を越えると段差のある畳の広間があった。この開放された畳の広間が、田舎者の我々には郷里を思い出させる仕掛けであったと感じた。只、一人で入った時に案内される席は、椅子席で且つテーブルの巾がなく、運ばれた料理が落ちやしないか気遣いしながら食べたものである・・

 帰郷して所帯をもった・・・
 子どもが小学生のころ、一家して「大学めぐり」をするために上京したことがあったが、私は一家をこの「じゅらく」に敢えて連れて行った。将来、遊学のためこの地を訪れる子どもたちが、時にはこの「じゅらく」で食事を取りながら・・・「おやじの学生時代・・・」を比較して欲しいものだと願う伏線があったからにほかならない・・・

 上野駅前「じゅらく」は、決して上品なレストランではなく、和・中・洋食の献立が食べられる大衆食堂であった。この店の特徴は、普段着を着ている客は稀だが、屹度東京生活になれた田舎出身者であり、殆どは一張羅の服を着ていた。たった今上京したてのおのぼりさんか、これから故郷に帰るための列車用の時間調整をしている人のどちらかであったが、この店は上野駅同様「上京組」の人生の始発駅であり終着駅であったことは事実である。
 

2008/04/22 (火)