BGM  ノクターンno.1♪

父との思い出   雪 の 綿 内 駅 


                                      泉小路萬良


 今みたいに各家庭に自家用車もなく、電車が日常の生活のなかで大切な部分
を占めていた、昭和30年も正月を少し過ぎた冬の話である。

 

父は当時小学生2年生であった私を連れて、雪降りの日に綿内を訪れた。き
っとのっぴきならない用件でもあったのであろう。綿内のどこであったかは記
憶の中にない。用事を終えて綿内駅まできたとき、父は何か重要なことを思い
出したように、引き返そうとしたが、・・・・・・・・・・・・

 

 

駅の待合室に備え付けられた木の長椅子に、僕を座らせて、

「ここでじっとしていろ。直ぐにもどるから。絶対動いてはいけないぞ。」

と言い聞かせて、父は足早に駅の待合室から出て行った。父の後姿を真剣に追
ったが、降りしきる雪のカーテンは、まもなく父を雪の中に隠してしまった。
途端に、ついていけば良かったと後悔したが、父の命令は絶対であった。

 

どのくらい時間がたったのであろうか。須坂行の電車と屋代行の電車のすれ
違い駅であった綿内は、電車がつくたびに多数の人たちが行き交い。電車が出
発すると構内には人気も無くなり静まりかえる繰り返しをしていた。

時々、電車の信号確認なのか、「チンチン」と信号音がなり、なにやら駅員が
確認をしているようである。

駅に人ごみが増と、やがて電車が到着する。電車の時刻表によって一日が廻
り、生活が廻っているのである。

 

改札口が込み合いやがて亦静まりかえる。チンチンの繰り返しを何回も聞い
た。時間は過ぎても父は中々帰らなかった。

 

 最初は、改札の模様や、駅員の信号のやり取りが面白くて飽きなかったが、
何本か電車が行き交いし、時間が経つにつれて、やがてあたりは暗くなってい
た。外は雪が深深と降っている。寒いのと心細くなってきた僕は、不覚にもい
つしか両頬に涙が流れていた。

すると、見知らぬおばさんが声をかけてくれた。

「坊やどうしたの・・・・」

「えっ、お父さんが帰って来ないの。そうなの・・・」

「見かけない子だね。どこから来たの・・・・」

「そう。かわいそうにねぇ・・・・」

 可笑しなものである。声をかけられればかけられるほど、涙がしゃくりあげ
て止まらなくなっていた。僕の周りには見知らぬ人が数人取り囲んで、この見
知らぬ子どもをどうしたものかと見つめていた。知っている顔は誰も居ない。
切符もないので一人で家(うち)にも帰れない。父は「直に帰るから」といっ
ときながら帰って来ない。無性に心細くなり涙が零れ落ちたのだった。

 

見かねた駅員が僕を駅舎の事務室に連れていってくれ、

「お父さんは、その内にきっと帰って来るから、ここであたっていな。」

とストーブの傍に大人の椅子を置いて暖をとらせてくれた。椅子が高すぎて、
よじ登って座ってみたが、足が床に届かかず宙ぶらりんであった。

子どもは現金である。さっきまで泣きべそを画いていたのに、寒さからの開
放と電燈が明るい事務室は心細さを忘れさせた。

チンチン。 チンチン。駅員が受話器をとってなにやら喋べる。目の前で行
なわれる操車のための『儀式』は、少年に大きな興味を持たせた。信号のやり
取りが済むと駅員は慌しく動く。暫らくして電車がホームにやって来る。駅の
待合室にいた人たちが、改札口に集まりホームに向かう。降車客がホームから
改札を経て待合室に出る。なにやら言葉を交わして各々の帰路に着き、駅は誰
も居なくなると途端に静まりかえる。

 

 やがて、次の電車に乗り込もうと人々が集まったのだろうか。人々の会話が
ストーブの僕の所まで聞える。会話のなかになにやら聞き覚えのある声がする。

「小学生の男の子を見ませんでしたが?」

「このくらいの男の子なんだけど・・・・」

「見なかったですか?」

 


 まさしく父の声である。
  私は椅子から飛び降りて事務室を飛び出し、待合室で僕をさがしている父の
ところに飛んで行き抱きついた。父は私を高く抱き上げてくれた。雪道を傘も
差さず僕を気遣って来たのであろうか父の頬は冷たかった。しかし抱き上げる
父の眼は温かった。僕は父に再会するまでの時間がとても長く居たたまれなか
った。いま目の前に居る父を見る嬉しさと、何で早く戻って来なかったんだと
怒りと心細さで、無性に涙が零れ落ちてならなかった。

父は、「一人にして悪かった。悪かった。」と頭を撫でた。

 


父はこの夜の出来事から1年半後に、急逝してしまった。
  あれから45年の歳月が流れたが、いまでもあの日のことを覚えている。あの
日、父が雪の中を引き返すだけの必要があったのかもわからない。綿内の駅舎
には、父と子の雪降りの日のやるせない思い出がある。思い出の中に父は鮮明
に生きている。僕が生きてる限り、僕の心の中に生きている。

 

 

「砂の器」と言う悲しくもやるせない映画(昭和49年、松竹)がある。松本
清張の同名推理小説の映画化であったが、刑事役である丹波哲郎が一世一代の
名演技をした名画である。加藤剛演じる過去を塗りつぶした青年音楽家が、映
画後半部分に展開する親子の巡礼回想シーン(父親役は名優加藤嘉、子役は春
日和秀)の一コマは、綿内駅での父と僕との出来事とオーバーラップして、な
ぜかビデオを見るたびに涙が止まらない。父子の情愛は誰にも思い出があろう
が、悲しくやるせない思い出はいつまでも消えない。