やる気のない人は表舞台から去れ!




 須坂小学校の敷地が、江戸時代の堀家の陣屋跡であることは、須坂小学校を卒業した者であれば誰でも知っている。卒業生のいわば心の誉れでもある。近郷のことを語れば、松代小学校然り、上田高校然り、何れも共通することは、江戸時代の城下町の佇まいを感じさせる。幼少の頃から城址界隈で時を過ごせることは、人生において何がしの背骨を形成しうると確信している・・・

 須坂小学校は当時の面影を残すものに、過って講堂があった場所の石垣ぐらいであろうか。更に8代藩主堀直郷が鐘楼を設け、この鐘楼が昼夜時を告げ、時代が変わっても戦前まで時を告げていたらしいが、戦時中に鐘が供出されるに及んで鳴り止んだ。

 須坂市教育委員会は、平成12年10月に鐘の寄贈を受けて、鐘楼を改修して「時の鐘」を復活した。

 この時期に、私は須坂小学校を訪ねて、「時の鐘を児童の登校時と下校時に、児童の運営の下に打ってもらう。卒業までに須坂小学校に学んだ児童は、鐘を撞いた経験が全員あるようにすれば、彼らが成長した暁には心の大きな糧となるのでは・・・」と提唱した。校長が退職される時期であるので関係者に同席してもらった。このことについて構内で協議しその結果を私に報告することになっていたが、主役であり新たなる伝統を伝えるはずの子どもたちの声が、一向に私に聞こえてこなかった・・・・
 
 あれから随分時が流れ数えて平成20年になる。私が卒業生してから数えると、五十年も後輩の児童を思いやるときやるせない思いが募る。松代小学校と文武学校や上田高校の城門は、児童や生徒が生涯持ち続ける「誇らい」を、私は須坂の鐘楼に託したのだが、やる気のない人に申し入れたばかりに新たなる伝統のともし火の火種は、闇に葬られた思いである。徒に虚しさが残る・・・

 万事、先例踏襲を良(りょう)とし、石橋を叩いて渡る役人の特質をば、寧ろ私は嘲(あざけ)る。柵(しがらみ)や因習を断ち切れず、無為に時を過ごすやる気のない者たちに、蒼天を貫く志を持つ児童や生徒を託せられない。ましてや教育者の端くれとしてのこころが傷まないのかと・・・



2008/06/07 (土)