母の諭しに臥薪嘗胆
                                      泉小路 萬良

 私は時々遠い遠い少年時代のことを思い出す・・・。
 恐らくは生涯忘れることはないし、忘れてはならない出来事である。あの日の屈辱が私を奮い立たせた。その思いが募りいつの日か上京して法律を学ぼうと肝に銘じた端緒であるからである。

 昭和32年秋のことである・・・。
この年の9月に父が亡くなって、そろそろ霜が降り始める頃のことだった。母が「みんなでお茶を飲もう」と、私に「好きなお菓子を買っておいで!」と百円札2枚を手渡してくれた(昭和32年当時、饅頭や大福餅、菓子パンが一個十円であったので、百円は今で言えば千円から千三百円位の値打ちがあるのではと推定する・・・・)。

 当時の菓子屋は「ショウウィンドー」にアルマイトのお盆を置き、この上に生菓子を並べて売っていた。僕は目当ての生菓子を見定めて「この菓子を下さい!」とケースを指差したところ、いきなりケースの向こうから、この店の主人が、
「おめえお金持っているのか?おめんちは(君の家の意)父ちゃんが死んじゃったんだろう?お金がねえもんには(菓子は)売れねんだぞ!」と罵倒された。

「無礼者!」と言おうとしたが、年端の行かない僕は握り締めていた百円札を広げて見せるのが精一杯であった・・・・・・
「おっ!銭持ってるのか?」・・・・・・・・・

 このことを家に帰って母に訴えたら、母は僕の涙を拭きながら「今日のことがよっぽど悔(くや)しかったら、大きくなったら屹度(きっと)偉い人にお成り」と、僕の頭を何遍も何遍も撫でて人の道を諭してくれた。

 祖母や姉たちも涙を溜めていた。父が生きているときと死んでしまった後では、世間は掌を返したように非情で冷酷になった。小学4年生の僕にとっては、とても辛くて切ない心の傷(いた)みとして心に刻まれたが、家族や幼馴染、学校の先生、泉小路界隈の人たちが僕の心を癒してくれた。励ましてくれた。

 歳月は流れその菓子屋は廃業して今は無い。しかし其の店の前を通る度に、この店の主人の不徳さを責めるよりも、寧ろ遠いあの日、母が家族を喜ばすために菓子を買ってくれるためにお金を渡してくれたことや、母が気丈夫にも僕の頭を何遍も何遍も撫でて諭してくれた言葉を思い出す。

 あの日母に諭され心に刻んだ「偉い人」とは、「誰にでも温もりと労わりを以って接しうる、大きな優しさを持った人になることだ」と思って人生を送ってきたが未だ成れないでいる。臥薪嘗胆の思いをもって少年時代、青年時代、壮年時代を生きて来た心算であるが、人生は将に金太郎飴の如きものである。変わらない意志を持続することは何よりも難しい。難しいが母との約束は何よりも私にとって重い約束であった。母との約束を果すための人生であるが、いささかも悔いはない。

 「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。」の不屈の心意気は、遠い昔のあの日に芽生えたのかもしれない。


2012年(2012年)6月10日記す