「臥竜公園へのおもい」  (寄稿)


南 條 華 子 (大学生))
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 まずは一番言いたいこと、「須坂市が好きだ!」この思いは高校で培われたのですが、今日はこの話は置いといて須坂市と言えば、臥竜公園の存在は欠かせないと思います。私自身、小さいときから写生大会や遠足、花見におでんに菊祭り、高校での体育授業でマラソン大会に向けた練習の通り道などなど、臥竜公園での思い出はあげるときりがない。それくらいに特別な存在である臥竜公園をそれらしくしているのはやっぱり池ではないでしょうか。その池の再生につながりそうな文章を最近読んだ“経済再生は「現場」から始まる”という本を参考に以下に述べたいと思います。



 昨年の須坂市議会でも取り上げられた議題にあるように、臥竜公園の池の再生に向けて少しずつ地域が動いています。どうしたら次の世代にも、須坂市が好きで臥竜公園に愛着を持ってもらえるのか。それのヒントとなりそうなものが、群馬県榛名町の冬のワカサギ漁で賑わう榛名湖に隠されている気がしました。


 榛名湖は、2003年について言えば、湖面に氷の張った1月24日以降の37日間だけで、入漁者数は6万6千人にのぼり、入漁料は500円なのでそれだけでも、1,300万円の収入になると言います。もちろん釣具のレンタルやら食事やらで、町には多額のお金が入ります。


 ところが、そのワカサギが1997年あたりから、急に釣れなくなったというのです。1996年までは1日500人以上あった冬のシーズンの入漁者が、1997年には300人程度に、1998年には100人を割り込み、2000年初頭の冬にはとうとう壊滅的な状況になったという。人工的に卵をふ化させたり、成魚を放流するなどの手を尽くしても効果は上がらず、地域経済は大きな打撃を受けたという。精神的ショックも大きかったようだ。


 しかし、ここから榛名町は地域再生のストーリーは歩み出す。結果から言うと榛名町を救ったのは「炭素繊維」であった。炭素繊維とは、アクリルを摂氏1000度の高温で焼いて作った炭の素であり、いまや新素材として宇宙航空素材料としては飛行機かスペースシャトルに、土木建築材料としては高層ビルや橋脚に使われ、またテニスのラケット、携帯電話の電池とその活用は広い。 


 なんとその炭素繊維を汚泥に浮かべると汚泥が吸い寄せられ、また炭素繊維に吸い寄せられた微生物が炭素の影響で活性化され水を綺麗にするというのだ。更に炭素繊維に微生物が集まり、そこに魚が集まって産卵するということも分かったという。ここまで聞いてどうでしょうか、話はまだまだ続きます。


 炭素繊維に浜名湖の将来をたくした挑戦者たち、炭素繊維を編んで作った藻をフロート(浮き)から吊り下げる形で1998年4月設置したという。しかし冬になり湖面が氷結し始めると氷でフロートか移動してしまい結局炭素繊維を撤去しなければならなくなったようだ。


 けれどあきらめない。翌99年4月、今度は炭素繊維を湖底からちょうど海藻が生えているように立たせて炭素繊維の下には鉄のおもりをつけ、上には浮きをつける方式に変更した。なんの変化も見られない日がおよそ2ヶ月続いたという。しかし6月になると序々に変化が見られた!フナやコイが炭素繊維に大量に産卵し始めたというのだ。そして1年後の2000年5月、ワカサギが集まる姿が確認されたというのです。


 2001年1月には湖面が全面氷結し、待望の穴釣りが開始された。ワカサギは大漁。ちなみに2001年の冬のシーズンの入漁者は1日平均600人、2002年には900人にまで達したといいます。見事地域は復活したのだ。地域に笑顔が戻ったのは言うまでもない。


 ここで重要なのは、地域の「共有財産」である自然環境をも守ろうと市民のボランティアによって、この事業が行われたことです。前例のない、今までどこの自治体もやったことのない試みを自治体がやるでしょうか。失敗のリスクを冒してまで、地域再生のために尽力するというモチべージョンは出てこない。


 炭素繊維の藻場を作るだけであれば30万円程度のコストという。30万円の投資が一シーズン入漁料1300万円をもたらしたことになる。炭素繊維を使用した例は他にもあり水質の改善が確認されているといいます。



 さて話を須坂市に戻します。臥竜公園でワカサギだ!そんなことはもちろん違う。入園料なんてのもない。しかし、春には満開の桜、須坂市民であることを認識させてくれる場所の存在は同じくらい価値のあるものだと私は思う。臥竜公園での思い出はひとりひとり違うがみんなきっとある! 地域再生は現場から始まるのだ。
最後に、榛名湖は周囲5キロメートル。では竜ヶ池の大きさは?


2005年2月11日 記