東向島界隈を語る

市議会議員 佐藤 壽三郎


昭和43年、私は上京したての頃、東京の下町と言われる東向島に一時期住んだことがある・・・
高校時代の同級生が、東向島のアパートに住んでいて、水道橋にあるデザイナー専門学校に通っていたので、これ幸いに居候をさせてもらったことがあった・・・
東向島時代に、これまた高校の同級生の義兄のご一家が「玉ノ井」に住まれていて、日曜の朝などは、この同級生3人が朝食を頂きに参じた事も思い出す。

玉ノ井界隈は、住まわれている家の造りも、往時を偲ばれる構えであったように記憶する。大学2年のころ、永井荷風の「墨東綺譚」を読んだが、小説の舞台はかって私が一時期居候していたことのある、東向島や玉ノ井が舞台ではないか。この小説を読むまで、玉ノ井の歴史的存在は知らなかった。当時19歳そこそこの私であるが、風情のある情緒豊かで、住んでいる人々の大らかさが漂う雰囲気の街並みを感じていた私には、抵抗なくすんなり読める小説であった。

「墨東綺譚」に登場する町名を始点とし、次々に登場する町名の二点を線で結んで、更に先を次々と辿ると玉ノ井に辿り着く。特に荷風は玉ノ井に至っては、こと裏道や近道まで知り尽くしているらしく細かく書かれていて、大好きな下町を本の中で散策でき、恰もこの小説を手にして読み進めると、地図をなどっているようで、下町に実際居るような感覚に陥いってしまう不思議な小説である・・・
 思えば、須坂の旧市街地も路地や迷路が張り巡らされていた。この地に生まれ育たった者でないと、すんなりと大通りに出れない裏道があったことゝ玉ノ井は似ている。
  
久々に本棚から取り出して「?東綺譚」を読み返してみた・・・
黄泉に召された同級生と通った、下町の「松の湯」や屋号は忘れたが猫の尿の匂いのきつかった「洋食屋」が思い出された。彼はこよなくこの東向島界隈を愛した男だった。当時、彼と風呂上がりに「松の湯」の向かいのおでん屋に立ち寄り飲んだラムネの旨さが思い出されるが、貧乏書生のささやかな贅沢であった。彼はデザイナー専門学校に学んだ後に、帰郷して会社を興して成功したが、六十歳半ばで亡くなられてしまったが惜しい逸材を亡くした。残念で残念でならない。同級生の冥福を祈って合掌した・・・

今度上京する機会があったら、曳舟から東向島界隈を訪ねてみたいものだ・・・

令和元年(2019年)7月31日