ことば遣いあれこれ


 ことば遣いは、その人の出身地、育った環境等あらゆるものを背負っての「口から発せられる」意思の表示であろうか。

 二十歳前後に「子母澤寛原作の親子鷹」を読んだ。勝海舟を取り扱ったものであり、この文庫本は気に入った箇所は何遍も読みましたね。

 そのうちに、海舟の江戸弁が何とも言えない味となり、自分も口にしようと、文庫本に書かれている海舟の「〇〇〇」のト書き部分のことばを何遍も暗誦したものだ。
 「しゃあ・・・」
 「おめさん・・・」
 「へぇえ・・・」
等は、剣術と蘭学を志した勝麟太郎が勝安房守として幕閣の中枢に身を置くようになって後の、将に人を喰ったことば使いでではないか。

 江戸弁は独特の「間」と「抑揚」があるが、フーテンの寅こと「男はつらいよ」で車寅次郎が喋ることばは、江戸弁の下町ことばであろうか。私の友人で「江戸っ子」がいるが、会話に何ともいえない「間」を持っている。

 尤も、江戸時代は、徳川家康自身が駿河からの移住組であって、各大名もみんな全国各地から江戸に集められた人々であったことを思うと、「江戸弁」は幕府が開かれた後に時間をかけて作り上げられたものなのかな。

 その点、田舎(地方)の村落はどうであろうか?
 
 天下分け目の関が原は、日本列島の部族単位の移動がなされたと言える。「殿様が国替え」されると家来や僧侶までもが国を替わる。しかし、土着の農民は国の事情や豪族の勃興には巾を持っていたのではないか。

 当家は関が原以来、我が家は応仁の乱以降、或は当家は南北朝の争いの果てに等々と、恰も当時から行き続けているような家柄や門地を口にする。然し語れば語るほど、見得を切れば切るほど傷跡は深くことの信憑性は薄らぐ。

 時間の経過は発祥地をベールに包み、ことばもなまりもいつの間にか、移り住んだ住所地の訛りや方言を身につけてゆく。これこそが、生活のため、生き延びるため、村(邑)八分に遭わないための手立てや、訛りや方言を喋らせることによって、他国者を見極めるための手段であったり・・・・

 今日もテレビで討論会を視聴者参加型で行っている。全国各地から応募された人たちが、お国訛り豊かに自論を述べられているが、平成の御世は素晴らしい!イントネーションが異なっても意味が分かる。自分の意思を相手に伝えることができているではないか!それが了知できるか否かを別としても討論は必要であり、それを支えるのはことばである。
 




2007/06/23 (土)