「共謀罪」を新設することの疑義


 「組織的な犯罪の共謀罪」を新設することは、先ず憲法第98条2項の国際法(条約)の国内的効力としての問題があろう。憲法は国際協調主義を前文に掲げ、更に第98条2項で、条約尊重義務を宣言している。第98条2項の解釈は諸説が入り乱れているが、条約締結権・承認権は憲法に基づくこと、憲法尊重主義(第99条)をもつ公務員で構成される内閣・国会が憲法違反の条約を締結なり承認は出来ないこと。組織的な犯罪の共謀罪が緩やかな解釈がなされた場合には、基本的人権の本質(第97条)を侵す危険性を包含していること。条約締結手続よりも憲法改正手続のほうが遥かに厳重であること(第96条)、等を理由として、私は主権国家の立場から、「憲法優位説」を選ぶが、条約の批准は国家機関の権能ではあるが、最高法規たる憲法と条約の優劣の問題を十分に論議せねば国家そのものを失いかねない。その意味でも「組織的な犯罪の共謀罪」を新設することは細かな論議が必要である。

 亦、「組織的な犯罪の共謀罪」を「国際社会の一員として」との理由で安直に国内法である刑法に組み入れることの是非を、冷静に論じるべきであろう。

 刑法の特色は「両刃(もろは)の剣(つるぎ)」に譬えられる(片刃で罪を犯した人を容赦なく斬り捨て、片刃では罪を犯していない人を徹底的に護る)ことからしても、私法とは全く趣を異にする。刑法の運用は、時の権力者が万が一にも心得違いをして振舞わすと、この法律は余りにも切れ味がよい故に、弊害として「人権蹂躙」も甚だしい凶暴な法律になりかねないことを、常に戒めとして心得ていなければならない。何のために罪刑法定主義が貫かれているのであろうかである。

 而して、「何故新設する必要があるのか?」「この法律によって国民の人権が本当に護れるのか?」「共謀罪の規定する構成要件(保護法益)は、国民にとって本当に有益なのか?」「この法律で問う違法性とは何か?時に乗じて十把一絡げにした政治的意図はないか?」「この法律の施行によって国民同士が疑心暗鬼に陥らないか?」「影法師に怯えた過剰な反応はないか」「国民の自由と生存権への侵害は無いか?」等を、真摯に思考する必要があるのではないか?

 「組織的な犯罪の共謀罪」の新設の是非については、国民も重大な関心事として、祖国日本の行く末と人権に拘る問題として捉えるべきであろう。況や、法律家は法律家の観点から、法律に携わる国会議員や首長、県会議員、市町村議員や公務員は「国家権力の執行は主権者たる国民からの預かりもの」の観点に立って論議すべきである。過去に忌まわしくも「行過ぎた法律によって人権蹂躙された」悲劇もある。歴史を繰り返さないためにも、『憲法の究極の目的は人権保障である』ことを忘れてはなるまい。

 学生時代に、ある教授が授業中に「法律を学ぶ君たちは、生涯『法学徒』としての冠がつきまとうを知れ。国民の自由を護るためにも、君たちの自由を護るためにも、国家権力の行使には常に猜疑心をより強く感じる『法学徒』であって欲しい!それが今日この教室で法律を学ぶ君たちの務めだ!」と諭されたことがあった。卒業してから三十四年も経つが、つい昨日のように思い出される。若き日に授かりし薫陶は青年が壮年になっても萎えないものである。

2005/10/30 (日)