青春時代の希望を乗せた丸の内線

市議会議員 佐藤 壽三郎


  私は学生時代に地下鉄・丸の内線を利用していた。下校時は都電で本郷三丁目まで出て、そこから営団地下鉄丸の内線の本郷三丁目駅で時刻表を見る。少しプラットホームで時間を潰してでも、「中野富士見町」行に乗車することと決めていた。
何故ならば、万一車内で寝込んでも、下車駅である中野富士見町駅は終点であり、電車は車庫に入る関係で、車内の点検をする車掌さんが、寝ていても起こしてくれるからである。「荻窪行」だとそうはいかない。折り返し運転の荻窪駅では、時間が経つと池袋駅に向かって発車し、今乗ってきた方向に進行する。丸の内線は荻窪駅と池袋駅を振り子運行しているからである。

  新宿駅で「次は中野坂上駅で乗り換えだからな!」と自分に言い聞かせても、睡魔に負けてうとうとする。中野坂上を過ぎ東高円寺辺りで目を覚ます。池袋行に乗り変えて中野坂上駅まで戻らなければならない。
あるとき大失敗をした。新宿駅を出て間もなく「荻窪行」の車内で寝込んでしまって、「中野坂上駅」を乗り越し終点の「荻窪駅」まで行き、更に池袋行に折り返しになった電車で「中野坂上駅」を乗り越し、目が覚めたら「大手町」であった。この駅は凡そ1時間も前に通り過ぎた駅ではないか。余程疲れていたのであろうか、電車の中で爆睡してしまったのである・・・
そこで、中野坂上駅で「方南町行」に乗り換える必要のなく、寝ていてもお構いなしの「中野富士見町行」に乗ることと決めた。いわば生活の知恵である。

  都会の電車の車内では、まず知人に会ったことはない。顔見知りの人は居ても、同じ駅を利用するだけの顔見知りで、挨拶などとても交わす間柄ではない。人様とのあいさつがいらない分邪魔がない。車内で読書するには極めて良好な環境であったと言える。然も下校時の午後10時頃の電車は、乗車時から確実に座れるから、読書にもってこいであった。然し法律の本はどれも重いので、掌にのせて読書するとくたびれる。時々左右に本を持ち替えては、電車に揺られながら読んだことが懐かしい。余り本が重いので高価な本であったが電車内で読むために、本をカッターでバラバラにして「章」毎に綴じて持ち歩くこととした。一気に軽くなりどこでも時間があると手軽に読めたので、随分重宝したものである。

  丸の内線は、学生時代を通して我が青春時代の希望を乗せて往復した最も馴染みの深い地下鉄だ。人生の下地を醸成してくれた恩を感じる電車でもある。

 令和元年(2019年)10月31日