人気取りの政治家になってはならない
 
 私が尊敬する政治家の一人に、江田五月と言う国会議員がいます。政治家である前に法律家であられる人です。偉大な政治家であられたが孤高過ぎたご尊父江田三郎氏の、言わば政治家としては「負」の部分を子として黙って背負られていることが、私は理屈なしで彼を尊敬する理由です。

 今日(24日)何気なく江田国会議員のホームページを見ていたら、私の度量を戒める言葉が載っておりました。「これだ!」と思いましたのでここに引用させて頂くと・・・

「尊敬する人は、人の評価を求めず、自分の信念に従って陋屋(ロウオク=あばらや)に笑顔で暮らす人」とありました。これは将にご尊父江田三郎その人ではありませんか・・・・・

 私が市議会議員として、「市民益」をあれこれ思って形にするために、蛮勇を奮い是々非々の発言をする。そのために、女房や子どもがひもじい思いをしながらも私には愚痴一つ言わない。すまないと思いながらも、私は、常々是々非々を旨とする市議会議員であり続けたいと思って議員活動を行っております。

 心無い市民や議員OBから「生意気寿三郎!」とか「議員なんだからお前が悪い!」と、何でも頭から議員だから貧乏くじを引けの論法は残念ながら僕にはありません。善悪をはっきり言えない議員が須坂を語れるのでしょうか。しがらみに自縛されてしまっていては、物事は建前論に終始せざるをえません。何故に是々非々が言えないのでしょうか。是々非々が言えんで五万四千市民の市議会議員としての矜持は無いのでしょうか?

 江田国会議員のこの一行に、私は弱気になって失いかけていた議員としての大切な持続すべき信条への大きな諌めとなりました。そして、私に投票を賜った有権者の皆様を誇らしげに感じました。人気取りの政治家になるを愧じ、信念がブレない議員でありたいと己を鼓舞しました。



2003/03/01 (土)