幼馴染と遊んだ毎日が宝
小学校・低学年編 その1
 
市議会議員 佐藤 壽三郎


 私の幼少時は、祖母、両親が健在で、三人の姉たちもおり、保育園(当時は確か託児所と言われた)や幼稚園に通う必要がなかったのか、保育園とか幼稚園に通った体験がありません。無経験なのが洵に残念ですが、幼少のことでありコメントのしようがありません・・・

 小学校に入学して、私は初めて集団生活の輪に入ったと言えます。当初は集団生活の輪に戸惑い、輪に入ることが馴染めませんでしたが、毎日決まった時刻までに姉に連れられて小学校の下駄箱まで連れていかれ、決められた教室に行くことが、今までの生活にないことなので、これが又楽しくて仕方ありませんでした。教室に入ると自分の机があり、顔ぶれが決まった机にちょこんと座っていて、毎日同じ先生が私の名前を呼んでくれるのが、これ又楽しくて仕方ありませんでしたが、同級生とか担任の先生といった概念が未だ掴めない少年でした。

 ある程度日が経つと、登校はまちまちですが下校時にはいつも一緒に帰へるようになった女の子が出来ました。あきちゃん(昭枝さん)、くんこちゃん(久美子さん)、みえちゃん(美江子さん)、たえこちゃん(妙子さん)、きよみちゃん(きよみさん)の5人です。

 小学校の正門の前が、町から市になった市役所(大人は役場と呼んでいました)で、学校の帰り道は、市役所の正面玄関から入り窓口の通路を一巡して小使室の脇を抜けて庭にでると、消防自動車が駐車してあり、私が運転台によじ登りハンドルを握り、、皆が助手席やステップに掴まって「消防自動車の出動ごっこ」をするのが、何時しか日課となりました。

 ところがある日、いつものとおり「消防自動車の出動ごっこ」をして、助手席の脇にあった手動のサイレンのハンドルを回したけれど、中々回らないので力を込めて回したところ、急にハンドルが軽くなりゥッゥゥウウウ〜〜とサイレンが鳴り出しました。この余りに大きなサイレン音に皆でびっくりしていると、庁内から職員が飛び出してきて、「このガキ!」と怒鳴られ、皆で一目散に逃げ出したこともありました・・・
翌日も、懲りずに「消防自動車の出動ごっこ」をするため、庁内を一巡して消防自動車に乗り込むと、おじさん(職員)が飛んで出てきて「消防車で遊んではいけない!」と「消防自動車の出動ごっこ」の禁止命令を受けました。

 私はこの5人の少女とクラス替えをする、4年になるまで3年間を共に過ごした訳ですが、私を含め同級生の中で取分け幼馴染と言える6人でした。くんこちゃんは惜しいことに50歳で亡くなってしまわれましたが、いまも生き長らえている4人との交流は続いています。ときに姉のような気遣いを受けると、遠い遠い下校時の数多ある思い出が蘇り、この歳になっても少しも頭が上がらない私です。

 なぜ女の子ばかりと帰ったのか?と思われそうですが、団塊の世代でクラスは6クラスもあり、且つひとクラス50人を超えましたが、私の家の近くの同級生となった子が、偶々女の子ばかりであったことからかもしれません。

 人の世は、「邂逅」という摩訶不思議な回り舞台で展開すると思いますが、私にとっての第1幕「下校はいつも一緒」の場面は、いわば人生を双六に譬えるならば、将にこれぞ、我が人生の記憶に残る「ふりだし」であったと感じます。齢を重ねる毎に「邂逅」のありがたさへの思いは強くなる一方です。

2018.10.31