【随筆・青春の追憶】


ピンレバ時計がコチコチと

市議会議員 佐藤壽三郎


二十歳にして法律を学べる機会を得た私は、上京する日に長野駅まで送ってくれた義兄が、「入学祝いだ。頑張れよ!」と金張りの角時計を腕から外して、手渡してくれた。

門出に戴いた金時計であったが、大学4年のある日にうんともすんとも動かなくなってしまった。そこで大学近くの時計屋さんに修理を打診した。彼は裏蓋を開けてみて「この時計は修理をしても無駄です。」とのことであった。さてさて当時は今と違って巷の至る所に時計が氾濫していて、時刻が容易に分かる時代ではなく、腕時計が無いと何かと不便であった・・・

新宿に出たついでに、当時流行りのピンレバ時計を歌舞伎町の盛り場にある雑貨屋で買い求めた。ピンレバ時計は今までの時計と違って、毎日ネジをくれる必要のない自動巻きに慣れて無精者となっていた私には苦痛であった。更にピンレバ時計の難点は、時を刻む歯車の「コチ・コチ」音が大きいことであった。日中の都会の雑踏のなかでは「コチ・コチ」音も周囲に消されて一向に苦にならなかったが、静かな図書館や、寝る前に時計を外して卓上に置くと「コチ・コチ」音は、はっきりと目覚まし時計に負けないくらいの「コチ・コチ」音で苦になった。

悲劇は突然襲うものである・・・
それは、「暗くなるまでまって」という、オードリーヘップバーン主演のサスペンス映画を観る機会を得たときのことであった・・・
ストーリーが転回して愈々クライマックスに入る前に、「これからの数分間は、映画を盛り上げるため、劇場内の非常口灯を消灯し、場内は音も光も無くなる企画です。どうかご協力ください。」と、スクリーンに表示されて劇場内は真っ暗になり映画が再開された・・・

ところが、私の腕時計の「コチ・コチ」と刻む音が、静かな場内に俄かに響くではないか。私の付近の観客から「時計がうるさい!」と怒鳴られる始末である。私は腕時計を外して背広のポケットに入れたが、「コチ・コチ」音は一向に消えない。そこであちこちのポケットに移すも、「コチ・コチ」音は小さくならない。私は焦りながらも考えた末に靴の中に隠すこととした。革靴を脱いで時計をハンカチで包んで、靴の爪先に押し込み、更に私の足で靴のホドとしたら、「コチ・コチ」音は漸く治まった・・・
 
「ローマの休日」のヘップバーンと、この「暗くなるまでまって」のヘップバーンは、まるっきり別人であるかのように思えた。「ローマの休日」は高校時代に学校祭の映画鑑賞で、名前だけは知っていたヘップバーンと初対面だった。将に初々しいアン王女の振る舞いに、高校生であった私は無辜な王女にとりこになったものであるが、この「暗くなるまでまって」のヘップバーンは、演技派女優として成長されて、味のある大人の演技で盲目の女性を演じ切っていた。

そんなわけで、名画「暗くなるまでまって」のクライマックスシーンの前半は、てんやわんやと重なってスクリーンに目が行かず、筋書きもうつろとなってしまったが、「コチ・コチ」音が治まった後半部分は、十分に映像を見入ることが出来た。

「暗くなるまでまって」の映画の鑑賞は、とんだハプニングがあった分、余計に青春時代の忘れられない映画となった。

令和2年(2020年)1月31日