惻隠の心無きは人に非ざるなり



 今日は亡き父の誕生日である。生きていれば幾つになるのであろうかと、調べたらなんと99歳になる。然し、父は齢49にして急逝してしまった。悲しい別れから51年の歳月が流れた・・・

 「惻隠の心無きは人に非ざるなり」の言葉があるが、父は戦後の混乱期の最中で、社会が敗戦からの立ち上がりでどろどろとして、国民が全員飢餓状態にあった中で私たち兄弟姉妹を育てた。巷には職は無く。収入が無い人が溢れていた。父を頼って訪ね来る人は幼心に多かったと感じるが、来る人を拒まず、市内の企業に職を求めて一緒に探して回ったり、生活苦を起因とする魔が差しての不祥事の尻拭いも、父は卑下することなく被害者宅に一緒に侘びにいってやったりしていた。

 父の心底にあったのは、「痛み哀れみの心無き者は人ではない」とする信条があったのかも知れない・・・

 私は、幸いにも父が逝った齢を遥かに越えて、生きながらえているが、果たして父ほどに「人の痛みや哀れむ心」をもって、尚且つ人々を救ったかとなると、未だ遥かに父には及ばないでいる。愚息と天国で父は苦笑いをしているであろう。

 「惻隠の心無きは人に非ざるなり」は、私が少年時に急逝してしまった父の無言の教えでもある。その意味が漸く分かりかけた歳になった・・・



2008/08/25 (月)