【随筆・青春の追憶】

 杉並区の和田界隈は門前町

市議会議員 佐藤 壽三郎


上京して・・・
下宿を決めるため学徒援護会の紹介状を手に、杉並区の和田の紹介宅を訪ねた。
営団地下鉄丸ノ内線中野富士見町駅を出て左手に曲がると神田川に架かる橋があり街が開けていた。私と神田川と和田の街との出会いである。

神田川は杉並区和田で善福寺川と合流し、中野区と杉並区の区境を縫うように流れている川であるが、この橋を渡ると杉並区であった。この橋を渡り神田川沿いに西に歩き、更に住宅街を進むと、紹介された住宅を見つけることが出来た。

下宿となる家主のご家族一家の温かな雰囲気と、和田という街は立正佼成会の門前町であることもあってか、街の雰囲気は、何故かおおらかでありながら、下町の雰囲気があるこの街を私は気に入り、学生時代4年間更に卒業後も都合6年間、和田の住民として過ごしました・・・

只、神田川は田舎の長閑な土手に挟まれた川とは違って、コンクリートでがっちり固められた構造物であって、土手は両岸とも道路であり、草木の生えているものではなく、これは田舎育ちの私には、川ではなく「都会の巨大な雨水の排水溝だ!」との印象だった。何故なら、普段は川底にチョロチョロと流れている水量が、雨が降ると途端に増水し、排水溝満杯にして流れる様は、将に雨水の排水溝に他ならないからだった。

神田川は江戸時代には神田上水として、江戸住民の水道の役目をしていたことや、この川が流れ流れて、御茶ノ水駅の脇を抜けて、隅田川に流れ込む外堀とは、これは後年知ることとなる・・・

雨の日も、風の日も、雪降りの日も、この神田川沿いを中野富士見町駅まで、朝夕歩いた思い出が今蘇る。杉並の和田は青春時代の日々の交々を紡いだ街であるが、取分け私が二十歳代を過ごした下宿のご一家子どもたちとは、兄弟の様に過ごしましたが、私の足となった丸ノ内線の思い出も今も鮮やかだ!

2022年5月3日