須坂は 須坂たれ


 先日上京しことは既に記しました。東京は何と「大江戸開府400年記念」一色でした。海舟が生きていたら。「ざまみろ!」と、小躍りして喜こぶことでしょう。1603年に家康公が江戸に幕府を開府してから丁度400年になるのだからだそうな。徳川幕府に深い関係のある日光も同様とか。当然と言えば当然の話しであります。

 どこかを忘れていませんか?そうです!この須坂をです!! 数えるに、初代藩主直重公が1615年に飯山藩から須坂に立藩して今年で388年になります。当時堀家の本家が飯山藩であったことからすれば、400年と名乗ってもいいのですが、そこは須坂の心意気であと12年待ちましょう。
 さて、飯山藩は藩主が皆川家→堀家→佐久間家→松平(桜井)家→永井家→青山家→本多家と変わる。須坂に関わる堀家は、飯山→長岡→村上と領土が移り、村上藩で明治維新を迎えました。
 
 しかし須坂藩は小藩なれど立藩以来、改易やお取潰しもなく明治維新まで一貫して堀藩政が敷かれた町であります。この誇りが今一人の意気地のない指導者の下で萎えようとしています。合併症候群臆病風邪にとりつかれたこの指導者は、「須坂の名称」を捨てても良いと思っているのかな。斬新だと言えば聞こえがよいが、あまりにも気骨のない言語道断の話しではありませんか。名君直虎公が若し生きておいでならば、きっとご立腹されるであろうに。

 あなたは許せますか、この臆病風邪を! ハァ、ハァ ハァクション! おっと〜 臆病風邪をうつされてたまるか!        

2003/12/05 (金)