ためにする論理を覚える勿れ



 議員は信条を曲げてはいけない!これは亡き後藤田正晴代議士が語られた言葉である。

 本日の委員会での討論を拝聴していて感じたことであるが、「ためにする論理」は、論理展開の途中で、弁論の展開に無理を生じて、本人が気づかないうちに辻褄が合わなくなる。明白な論理の飛躍であって、総論と結論に論理が一貫しない。即ち、語る主張に矛盾があることである・・・

 世間はこれを馬脚を現したとも言うが・・・
議員がこの手法を用いると、議員の身上である「語り」は忽ちに信憑性を無くし、聞き入る人心は離れることとなる。
議案に対し、先輩議員や後援会から圧力をかけられたときに陥る、一種の自己嫌悪と、圧力に負けてたまるかとする抵抗の狭間で揺れ動く、心裡の露呈そのものである。潜在的に己の心底にある思いが予期せず表れることにより、結果的に矛盾に満ちた弁論を平気で繰り返してしまうのである・・・

 否々、誰を責めようや!私にも苦い経験がある。己の信条を偽るを諒としないと悟った私は、潔く一期議員の時に会派を退会した。

 本人が一番誤りに気付き苦しんでいるにあろうことを思うと、気持ちも分からない訳ではないが、「〇〇ありきを前提にした自己を偽る論議」は、結局は議員として政治生命を縮めることとなろう。

 須坂のために尽くそうと議員になった以上、是々非々が言えない議員は陣笠議員でしかない。さあ今なら間に合う!議員として勇気を持とう。議員は是々非々が言えなければ意味がない!



2008/03/13 (木)