田中紀美さんを語る


 古人が書き記している如く、人の幸福や不幸は紙一重であり身近に混在し同居する。人は運命の匙加減によって、幸運であったり奈落の底に突き落とされる。生死は神のみぞ知る謂れなると最近感じてならない。幼くして父と死別したるも亦運命(さだめ)なるやも知れないが、然し、神の徒は、幸運にしろ、悲劇にしろ、その人の人生を大きく変えてしまうことも事実なり。

 私は多くの皆さんから筆舌に尽くし難い恩情を賜った。このお陰をもって今日があると思うと、神に感謝をせねばならない。しかし、幼くして父の命を奪ったのも神であるとすれば、私は神を怨まずにいられない。奪われた悲しみは、喪った人にしか分からない遣る瀬無さがあるからである。してみれば、人の心は振り子の如く揺り動くものなのである。

 穀町の田中紀美さんもご恩を賜った御仁の一人である。私は東京から帰郷した30歳前後、将に人生が蚕から繭になる時期にあったと感じている。田中家の一室を拝借して「受験勉強」をした。おばさんは、折りある毎に受験浪人中の私に「一生懸命学問を修めて、必ず一角の人におなり」と励ましてくださった。おばさんのご兄弟が、夫々学問で身を立てられていることもあってか、説得力があり私を奮い起たせてくれた。然し私は花が中々咲かず、漸く51歳の折に市議会議員になれたおりも、我がことのように喜んでくださった。私が田中家より居を境沢に替えた後も、おばさんを訪ねては、お茶を所望するのが私の楽しみでもあった。
 
 紀美さんが4月4日ご逝去された。享年83歳であられる。私は、また一人大切な恩人を喪ってしまった。こころにぽっかり穴が空いてしまった。
2003/04/07 (月)