【自主研究:地方議会と市議会議員】

このままでは地方議会は自滅する!

 

 全員協議会(注@)の名を変えて、予算特別委員会(注A)という名称を冠した予算特別委員会、決算特別委員会を設置して、議員全員で審査するのは全員協議会に審査権を付与するものであって、これは本会議を形骸するなにものでもありません。
 今までの2回の特別委員会の設置は「但し、試行だから」ということで呑んだ訳ですが、あくまでも、議長を抜かして19名という構成は、全員協議会のまさに線上にあるものなのです。全員協議会の名を変えて、予算特別委員会という名称を冠した委員会を設立することは許されません。

 我々自身の地方議会の本旨というものは、常任委員会(注B) の分割付託による審査が、地方自治法に照らし合わせて、違法性があるのではないかというところに一番の争点があるわけですが、それを解消するには特別委員会を設けての一括審査は、おおいに結構だと思います。ただ、審査手法に関してはあくまでも我々自身が地方議会の議員の本旨、議会の機能というものを考えた場合に、それともう一つ、時代の趨勢はどうも予算、決算特別委員会の方向に全国の市町村が動いているということも勘案しなければならない。今や地方議会を取り巻く動きは、一括審査に移行せざるをえないのではないかとも言えます。

 予算・決算特別委員会の大枠の中で、予算部門と決算部門を分科会(注C) に分けた構成であるならば呑めるけれども、単独で決算特別委員会、予算特別委員会を立ち上げて、構成員は議長を除いた19名の議員全員でやること自身の、全員協議会的な審査運用は、本会議を形骸する何者でもないことは前述のとおりであります。そのために、須坂市議会が全員協議会の運営に関しては、協議機関ではないことを念頭に厳格に弁えなければなりません。

 ですから、全員協議会の名を変えて、予算特別委員会という名称を冠したから、別物であるときっぱり言い切れますか。これは私自身の今までの学習してきた経験からすれば、5年6年経った時には、須坂の本会議は形骸化された本会議に陥ってしまう。これは明白な理です。そう言ったことを我々自身が考えなければいけない。

 9月定例会(平成19年)の決算特別委員会、3月議会(平成20年)の予算特別委員会(19名で編成)の時に、私は幸いな事に副委員長として、委員長席の脇で委員会運営を観察することができました。19名で行っていることもあり、手抜きをしようと思えば、いくらでも手抜きができる内容でありました。決算や予算編成に携わる、それは一部の人間は予算委員会とかが予算取りのために、次の選挙の時に評判がいいとか、効果があるからと言っている人も事実いるが、市民に迎合することや市民受けが良い理由で、特別委員会を編成することではないと思うのであります。  



 
2. 市議会を予算委員会と決算委員会の2委員会制にすべきである

 私は、予算と決算の特別委員会を設けて、任期を1年間ずつにし、自分の立てた予算委員会は次年度は決算委員として、自分の携わる予算の審議をする。そのチェンジを我々は4年間繰り返すことを具体的に再三提唱しています(このことについて、特別委員会は臨時的との概念に反するとの反対意見もあります)。
 更に、予算委員長は、その時々の副議長が予算委員会にはそのまま、1年ごとにチェンジしますが、副議長にあっては副議長の任期が慣行で2年だとすれば、2年間は予算委員会の委員長を務める。これは本会議の形骸化を回避する、このことに尽きると思います。これは一部の議員は、「全員が携わればいいんだし、これが決して形骸化にならない」ことを、私に説かれておりますけれど、私は得心できないのであります。

 議会の運用の仕組みは、予算・決算特別委員会(19名構成)での審査内容を、本会議で表決し直すのですが、本会議議場で、実質的な審査結果というものは19名(全員が)が既にわかっている訳です。現行の1つの議案を2以上の委員会で審査する常任委員会の部門別の審査方式であれば、本会議においてひっくりかえることは大いにありえます。本会議で委員会報告という形で委員長が報告しても、会派の思惑やら様々な要因で、委員会審査結果では「可決すべきもの」と表決されても、本会議で否決されることは決して珍しくありません。「委員会審査結果は最大限尊重されるべきものからすれば、本会議が委員会と表決を異にすることはありえない」とするのが私の理論ですが少数のようであります。

 19名(全員が)で構成される特別委員会では、そういったことの緊迫感というものがなくなっていってしまう。逆に19名(全員が)が、特別委員会で意思を表決し、本会議において翻意というか今までの意思と違ってひっくりかえすという事はなかなか難しいと思う。という事は、一貫性ということを要求されなければ、場合によっては本来19名(全員が)委員会の表決が、やり直しになっていく弊害も考えなければいけない。

 全員協議会の名を変えて、予算特別委員会という名称を冠した委員会の活動を容認すれば、本会議と本会議の前日に開かれる特別委員会のどこが違うかを明確にせねばなりません。

 須坂市議会はそれを回避するために、議員定数削減の折、あえて可否同数にならない様に20名に削減しました。これが21名だったら議長を除いた議員は20名になる。その時に議長に対する負荷が大きいからという事で、当時私が主張したのは常に偶数でなければいけない。そうすると1人引くから常に奇数に納まります。表決すると必ず奇数になる。最悪の場合でも、その時に議長は可否同数の時ですので、これは議長の裁量に基づいて云々というものを回避するために仕組まれた議員定数であります。全員協議会の名を変えた特別委員会の審査結果を、本会議で単なる本会議の表決のやり直しには納得がいきません。

 須坂市議会で折りあるごとに「全員協議会は審議機関ではありませんよ」と、私が議員になってから約10年間も唱え続けたことで、須坂市議会の全員協議会のあり方というものは、他の市町村を大きくリードしていると思います。



 
3. 地方議会に潜む危険性について


 全員協議会の名を変えた特別委員会の審査の危険性を重要視しなければいけない点を更に述べたいと思います。

 我々自身が議員である以上は、全員協議会の名を変えた特別委員会の審査が、3日も4日も時間を要して結論を出した部分が、日を置かずして本会議が開かれます。当然3日も4日もかけた特別委員会の審査結果に重きをおくことに決まっている。なぜかと言うと、朝の11時から始まる定例会最終日の本会議は、単なる議事事務作業と申せます。写真で言えば焼付け作業です。
一方、委員会審査は、焼付けではなくて撮影から現像、修正までをしているわけです。そういったことを全員協議会の名を変えた特別委員会の審査を全員でやることの危険性を、我々は考えなくてはいけない。

 我々が歴史をたどった時に、政治の原形は直接民主主義でした。邑(村)中の住民が一堂に集まって、物事を決めていたのでしょう。その邑がだんだん大きくなっていく中で、直接民主主義の一つの弊害というものは、カリスマ性の(強い)酋長(シャーマン)が出てきて、邑の決め事の仕方が統治する人と統治される人に二分されたと思います。公権力の芽生えが時に専制(ファッショ)の土壌なってしまう。その弊害がわかった時に、統治される人たちは最早言論の自由は奪われてしまったと言えます。

 幾千年のときを経て、人類が命や流血と引き換えに、専制君主から自由と平等或いは参政権を奪還したときに、民主主義を如何に後世に伝えるかの仕組みが色々と協議され、それらの結果を現代に生きる我々は享受していることを忘れてはなりません。

 昨今は、ものの捉え方や町村の意思決定の補完機関として、住民集会等が(町村議会は地方自治法の中で法定必置ではない(注D)。地方自治法第94条 町・村総会を設けることができる)流行しておりますが、この手法が果たして良策であるかは疑問が残ります。市町村長や議員は選挙という媒介を解して正当に選ばれた人に政治を負託する作用が大切であり、立候補して洗礼を受けることについて、最小限の制約を課することは当然の話であります。選挙で当選するほどの力量がないから市民集会を懐柔しようとする料簡であるとすれば、これは民主主義を語る資格はありますまい。

 議会の機能を最小限に絞り、恰も扇子のごとく縮めていくその先にあるのは、住民総会が住民の総意である「意思決定の捉え方」は、住民総会と法の定める町・村総会は権能が全く異なることの峻別をしないと、やはり危険性が潜んでいると思います。市は、市議会が法定必置であり、市民総会は認められていないが、市長が盛んに行う「地域懇談会」の是非についても、我々は考えなくてはいけない。


 「全員協議会の名を変えた特別委員会の審査方法でも良いではないか」という意見がありますが、審査のプロセス自身も相対的に考えなければいけない。全員が構成する委員会の審査方法は、全員協議会でないとすれば、あくまでも常に議長が指揮をとる本会議において審査をしていくかということになる。そのかわり(本会議だから)1回しか許されない(一事不再議の原則(注E))。

 現行体制は、委員会⇒本会議と裁判でいえば2審を許しているといえる。特別委員会、決算委員会の中で審査したものを、本会議の中でひっくり返すことも今は可能である。ある委員の論議からいけば1審だけと断定される。委員会=本会議でこれが本番になってしまうのだからこれはこれで理論が通る。然しそういったことを、家に帰ってよく考えたら翻意することもありうるし、あるいは審議している間に社会状況が変わってしまうことによって、修正を加えねば条例も無用の長物と化してしまうこともある。

 そのためにわれわれ議会は、一事不再議の原則を取り入れている理由は、期間を以って議会が動いていかなければ、どこかの市町村(議会)は1年中開くような事しこれが議会改革だと誇らしげに掲げるが如何様なものか。議会は原則として期間を設けてやらなくてはいけない。なぜ会期が必要なのかを理解しないで、何でもありの議会改革は決して改革ではない。議会は制度の目的遵守については、頑なにまで固執する必要があるのでは。我々議会に課せられた使命と権能をよく咀嚼して、市民の権利と義務をいかに擁護するかといったことを勘案すると、やはり本会議と全員協議会の名を変えた特別委員会とは、峻別すべきだという考え落ち着きます。即ち、特別委員会での審査の顔ぶれと、本会議場での顔ぶれが全く一緒である審査のあり方は、「一事不同人」として避けねばならない感覚を持つべきであるまいか。


 
 
4. 現行の分割審査は違法性があるのか

 仮に予算・決算特別委員会を常任委員会化した場合に、今ある3常任委員会をどうするかと言う事も考えなくてはならない。議員の人数が少なくなってきて、実質的には委員長を除くと5人という少数で審査をしてくことが、果たして適切かという課題もあるし、現行の常任委員会を場合によっては、3常任委員会から2常任委員会へ編成替えをしなければいけないという問題も出てくるかと思います。

 予算・決算特別委員会設置については4案が考えられます。一つは、予算・決算特別委員会1本とし、構成員は議長を除く19名全員とする考え方。二つは、予算・決算特別委員会を1本として設立し、委員会を分科会的に予算分科会と決算分科会に分かち、常任委員会と同様に、年を通してその活動をする考え方。三つは、予算特別委員会、決算特別委員会を各々別個に、毎年期間を定めて設置する考え方。そして四つとして、予算・決算常任委員会として立上げ、現在の常任委員会を廃止してしまう考え方です。

 特別委員会と現行の常任委員会との整合性、あるいは現行の常任委員会不要論という課題が取り沙汰されます。行政視察等を行い先進市の傾向を見るに、予算・決算特別委員会が設立され、委員会活動が軌道にのった時は、現行の常任委員会はほとんど調査研究ぐらいの活動に縮小される傾向にあること等を勘案すれば、寧ろ調査研究というものは実は、市の事業は常に予算立ての後ろ楯がなければ何も出来ないことも考えれば、予算委員会あるいは決算委員会の中で論議しする必要性を鑑みるとき、明らかに現行の常任委員会は無用となってしまうことを認識する必要があります。


 
 
5.委員外議員の発言と会派代表委員の関係


 現行の常任委員会は、会派から委員が出て委員会を構成しているのだから、委員外議員(注 F)は委員会審査に出席して、説明や質疑を求める発言をすることは許されないとする説がある。

 当須坂市議会は、委員外議員が出席して説明や質疑を求める発言をすることを許している。
私は、委員外議員が出席して発言することはおかしいと思っている。委員外議員が委員会を傍聴していて、どうしても疑義がある時は、会派の同僚議員説明や質疑を求める発言をしてもらう手法を用いなければいけないのではないかと思う。予算・決算特別委員会を、全員で構成するメリットとして、いちいち会派へ持ち帰って照らし合わす必要がないと強調される。委員外議員の問題はなるほど解消されることとなるが、これはメリットと言えるであろうか。

 なるほど、地方議会は自分が会派と違う意見を言える保障が議員になければいけない。例えば私が属する改新クラブの面々と協議したけれど、政治信条や郷里須坂の100年の計を慮れば、自論の方が良いとして会派の決定を無視して押し通すことは、19人の中で果たしてそれが許されるかどうかの課題もある。

 現行の常任委員会に臨むに先立って、各会派で存分な意見調整会議が開かれ、十分な討議がなされるが、討議をすればするほど異端的な意見というものが出てくるはずである。こういうこともありえるのではないかという、そういった会派内の意見の調整と集約は、本来は国会の議院内閣制と違い、緩やかな意志統一を敷いている地方議会が、然らば会派の決定に拘束を求めたりあるいは拘束を掲げる必要があるかである。


 
 
6.市議会は、一選挙区であることの現実


 やはり我々は選挙に出る時に、例えば改新クラブの佐藤壽三郎ではなく、佐藤壽三郎という個人で立候補し洗礼を受けていること。国会と地方議会の仕組みが全く違うことを認識しなければいけない。これぞ市民のためになる目標を掲げて立候補し、当選によって自分が掲げた提唱を負託されている自覚がある。公明党と共産党の党籍にある議員は、当然党が掲げる綱紀に拘束されると言えるが、無所属で出ている議員は、そういうことの金縛りをどこまで逆に議員間で認めるかの問題が残る。無所属を隠れ蓑とする議員の政治活動は、市民にとってデメリットが大きいと感じる。全員協議会の名を変えた特別委員会のメリットよりも、本会議形骸化のデメリットの方が、秤にかけた場合に大きいと判断している。

 昨今、議員をもっと減らせという動きと、共産党は法で許す枠一杯で良いと主張されている。そのような意見を踏まえて須坂市議会は、議員定数を24人から20人になった。定数削減の経過を考えると、議会というものは許す限りにおいては民主主義の安全を考えれば、共産党の主張する説も一理あると思います。私たちは、市民の声が正しいか否かの論議とは別に、市民の声の大きさの課題がある。声が大きいとそちらの方へ耳を傾ける傾向があると思う。いわゆるポピュリズム(迎合主義)は、議員として本来はそれを払拭していかないといけないと思う。

 私達議員が民主主義の擁護という使命を考えると、議会制の必要性、間接民主主義の必要性を、国民(市民)がこの論議をおろそかにした時には、日本はまたかつての様にいち独裁者が自由に1億2千万の人達を支配してしまう様な時代に陥ってしまうかもしれない。それを防ぐためにこの様な制度を設けたことも、平和ボケするといつも忘れてしまう。私達議員が、国民主権主義、恒久平和主義、基本的人権の尊重を如何に守れるかどうかといった時に、私達は目を見開いて死守すべきであって、常に公権力に対する猜疑心を持つことが、私達議員の使命だと思うとき、全員協議会の名を変えた特別委員会の審査の危険性を真摯に見つめなおす必要を感じる。


 
 7.市議会議員に求められる専門性について


 我々自身が議員になった時に、ある程度専門性ということを、1期の議員の1年目は仕方ないけれど、2年、3年を経るにつれて、議員2期、3期となった場合には、様々な行政分野である程度の専門性を身に着けなければいけない。更に議員としてのライフワークとして、たとえば農政問題に関してはとか、福祉問題についてはとか、環境問題に関してはA委員だとか、そう言ったことが要求される。すべての議員がオールマイティに対応できればいいのだけれども、そこまで要求されても議員の資質の課題が取り沙汰される。

 議会の委員会構成員も、例えば農政に関してはB議員を配置しようとか、環境はA委員、法務関係はC議員が欠かせない。そういう議会内部での分担がこれからの議会では必要になっていくと思われます。一面において我々は、ある程度時間がなければ、専門分野の勉強もできないのである。現行の3常任委員会は、円に例えると120度(360度÷3)を見渡すことができる。けれども2委員会とすれば、180度までの範囲にまで間口が広くなることとなる。全員協議会の名を変えた特別委員会の審査を行えば、360度の範囲が見渡せる論理はなるほどすばらしいが、逆に専門性には程遠い議員が作り出される懸念を含んでいるのではないか。



 
8.現行の常任委員会(分割付託)のあり方をどう捉えるか


 一部の議員からは、常任委員会は残すべきだという部分があるから、調査研究の部分だけでも残す、この様な部分も考えなくてはいけない課題と言える。今の常任委員会の分割付託が、地方自治法に照らして違法性がないのなら(注G)、須坂市議会は現行とおりに、3常任委員会で分割付託もありうる。

 現行の常任委員会のあり方をどう捉えるかといった場合には、常任委員会というものは、視察に行って分かるように、最近の他市の歩みは、決算・予算委員会構成とともに吸収されていく過度期であることがわかる。一方、従来の部門別の審査方式を採用する常任委員会の機能を残したいという市議会の考えもあるが、いずれは予算委員会か決算委員会の方へその機能が吸収せざるを得なくなるというのが世の中の流れでもある。

 突きつけられた現実として、予算・決算特別委員会の一括審査になりつつあるということを、我々は考えなくてはいけないが、全員協議会の名を変えた特別委員会の審査を容認することは、議会の形骸化を招き結果的に議会制民主主義は瓦解の道筋を歩むこととなる。


 
 9.結論


 須坂市議会は、平成19年9月議会に決算特別委員会、平成20年に予算特別委員会を、議長を除く19名全員で構成して運用を試行して来ました。然し、全員協議会の名を変えた特別委員会の設置をこれ以上推進することは許されません。仮に予算特別委員会、決算特別委員会を設けるならば、改新クラブが唱える「地方議会の存在価値を高めるためにも、議員の半数を予算特別委員会に、半数を決算特別委員会で構成する」ことを試みるべきであります。

 この議会の危険分散がなされないならば、須坂市議会は現存する3常任委員会における分割付託の道を選ぶべきものと思料します。





【用語の解説等】

@ 全員協議会(地方議会用語辞典 p423)
 正規の議会の会議ではなく、将来の問題、その他について協議するための会議
※ 審査能力、決定能力など議会としての能力はない。
議会の意思決定としての法的効力は認められない。
地方自治法、会議規則その他の関係規定の適用はない。
費用弁償・公務災害の対象にならない。

A 特別委員会(地方議会用語辞典 p525)
地方自治法第110条第1項に基づき、特定の付議事件の審査のため、臨時的に議会の議決により設置するもの。
※ 定数の制限や禁止事項の規定はない。
全員若しくは議長を除いた委員会は、違法ではないが、疑問とする見解もある。

B 常任委員会(地方議会用語辞典 p377)
  法第109条により、一定の部門に関する調査及び議案等の審査を行わせるため、条例で定め、常設する委員会。
※ 必置の制度ではない。
※ 機能としては、議会の予備審査的な性格を有する。

C 分科会(地方議会用語辞典 p583)
  委員会の内部に設置する組織で、会議規則第95条で設置について定めている。
 ※ 一定の結論を出すことを要するものでなく、討論、採決を行わない。
 ※ 委員会への報告は、経過だけの報告でよい。

D 町村総会(地方自治法第94条)
  町村は、条例で、法第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、
選挙権を有する者の総会を設けることができる。(町村総会)
※ 市においては、議会は必置機関である。
※ 町村議会に変えて町村総会をおいているところは、19年現在ない。

E 一時不再議の原則(地方議会用語辞典 p49)
  自治法には名文規定がなく、議会運営上慣習的に形成せれたもので、同一会期中に一度議決された事件は再びぎけつしないとの議事運営
 ※ 会議規則第15条で明文化されている。

F 委員外議員(の発言) (地方議会用語辞典 p6)
当該委員会の委員でない議員が、委員会の求め又はその許可により、委員会に出席(して発言)すること。
※ 議規則第110条 
※ 行政実例は、発言には説明及び質疑が含まれるとしている。 

G 分割審査=分割付託(地方議会用語辞典 p584)
 一個の議案を各所管の委員会に分けて、それぞれの委員会の審査に付すこと。
※ 行政実例は、「予算は不可分であって、委員会としての最終的審査は一つの委員会で行うべきで、2以上の委員会で分割審査すべきものではない。」(S29.9.3)
なお、条例においては、分割審査はできないものと解する。としており、決算については、一つの委員会に付託すべきものと解する。(S28.12.17)としている。


※ 本稿は平成20年6月25日に開かれた、議会運営委員会において、私が執拗に地方議会の危機を説きました議事録に加筆・修正したものです。




平成20年7月09日初版
平成20年7月15日改訂
平成20年7月24日改訂
平成20年7月28日改訂
平成20年8月01日改訂