図書館通いと母が買ってくれた下駄


 私は家の近くに市立図書館があったことや、姉が図書館にとにかく通ったこともあって、姉に連れられて少年時代から図書館通いをいたしました。このことが人生において大変意義があったと思います。図書館に寄せる思いが、多少平均的市民より強いのは、図書館の効用と図書館の恩恵を受けていると思うからです。

 図書館の苦い思い出は、中学1年生であったある日、母から下駄を新調してもらい、学校の帰りに図書館に寄りました。暫くして帰ろうとしたら、新品の僕の下駄が・・・下駄箱のどこを捜してもありませんでした。そこで図書館の職員に申出ましたところ、彼も一緒に捜してくれましたが、とうとう下駄は出てきませんでした。

 帰るにも帰れ無い状態で困っていると、館長が「代わりの履物もないから、すまんが閉館までのこってくれ・・・」と申されるので、仕方なく5時間以上も時間を潰して閉館までおりました。

 みんなが帰った後に、館長と職員と僕で下駄箱に行きますと、下駄が一足残っておりました。
 「こいつが間違えたんだな!」と職員
 「他にないな!うん、こいつだな!」と館長
そして・・・・
 「これを履いて帰ってくれ!多分出てはこないぞ・・・」と館長

 私は、鼻緒が薄汚れた使い古しのひらっかの下駄を履いて泣く泣く帰りましたが、下駄の減り具合に癖があって良く歩けない。新品の下駄とは似ても似つかない大人の下駄でした。これは故意に下駄を替えたとしか思えない。

 次の日も、その次の日も、母が買ってくれた下駄を求めて、学校が終ると直ぐに図書館に行き、閉館時間まで下駄箱を見張りましたが、新品の下駄は二度と僕の前には現れませんでした・・・

 母が工面してやっと下駄を買ってくれたことを思うと、自分の不注意から下駄が盗まれたことが、母にすまない気持ちで一杯でした・・・

 私は今でも下駄を履いています。住宅と事務所を行き来するためにしか履きませんが、それでも年間に2足から3足は履き替えます。最近の下駄は靴よりも値段が張りますが、下駄は捨てがたい履物です。下駄を履くときに母の温もりを偲びます。




2008/03/03 (月)