中国は大切な隣人



 孔健氏が1994年に書いた「日本人の発想 中国人の発想」(PHP研究所発行)と言う本が手元にある。著者孔氏は孔子の第75代目直系子孫にあたるとあるとか。

 この本の中で、私が興味をもった部分は、「中国人は『没法子』の発想をする件である。「没法子、等?(メイファーズ、ドンパー)」は中国人の口癖で、「仕方ない、ゆっくり待とう」の意味であるとのこと。なるほどなぁと感ずる。

 更に、「日本人にアジア蔑視の感覚はないか」についての件であるが、これは孔氏が店先で体験した日本人が潜在的に抱く「アジア人蔑視の感覚」を突いている。そこまでの見識が無い私にとってはそうなのかと思う位でしかない。

 私には数人の中国人の友人が居る。来日されたときはわざわざ内陸の須坂まで足を運んでくれる。中国語を話せない僕は、彼と筆談をすることで意が通じる。筆談をし始めるとメモ用紙が数枚にもなるが、漢字が二人の心を通わせて、文字が国境の隔てを無くす。

 私が大連を訪ねたのは平成7年の夏であった。明治維新を日本の青年と例えるならば、青年日本が朝鮮半島から遼東半島、そして満州に何故進出したのかをこの目で見たくて大連と旅順を訪れたが、大連や旅順は日本人が建築した構築物をものの見事に同化していた。

 思っていたとおり中国は不思議な魅力があった。日本男子にロマンを抱かせる何かが大地にあった。何時の日にか再びこの地を踏もうと湧き上がる何かを与えるものがあった。

 我々は、隣国中国や韓国、北朝鮮、ロシア、台湾等の東アジアの「漢字圏の人々」とは、たとえ言語が喋れなくても筆談すれば分かる国でありたい!それには、自由に往来できる入管施策が、隣国との心を開く近道かもしれない。


2005/06/03 (金)